スーパースターではないからこそ愛される
そんなゴッホをただ1人、支え続けたのが弟のテオだった。
人は彼の絵に不遇な人生を重ね合わせて見つめる。
美術展へ行く人たちはごく普通の庶民だ。そして、庶民はゴッホほどではないけれど、自分の人生は不遇だと感じている。誰もが失恋し、孤立し、挫折し、自分は認められていないと感じたことがある。上司から怒られたり、客からクレームを付けられたり、株や競馬やパチンコで損をしたり……。不遇な庶民にとってゴッホは身近な存在であり、生きていたら支えてあげたい画家だ。
ゴッホはダ・ヴィンチやピカソのようなスーパースターではない。だから、みんなゴッホが好きだ。
日本人を異常に惹きつけるゴッホの魅力
ゴッホの人気は世界中に及んでいるけれど、なかでも特別に愛情を持って作品に接しているのが日本人だろう。
整理してみると、日本人がゴッホを好きな理由が3つ考えられる。
ひとつはゴッホが多くのメディアに取り上げられていること。伝記、書簡集、評論、演劇、映画、ポップミュージック、広告……。さまざまなメディアがゴッホの作品と人生を取り上げている。
日本では明治時代に武者小路実篤ら白樺派の小説家、芸術家がゴッホを紹介した。次に西洋美術評論の泰斗、児島喜久雄が『ヴィンツェント・ヴァン・ゴォホの手紙』を翻訳した。その後、文芸評論家の小林秀雄が『ゴッホの手紙』(新潮文庫)を著し、時代は下るが、原田マハさんが『たゆたえども沈まず』『ゴッホのあしあと』(いずれも幻冬舎)で彼を描いている。
数多くのメディアのなかで日本人にゴッホのイメージを決定づけたのが、舞台『炎の人 ヴァン・ゴッホの生涯』だ。劇団民藝代表の滝沢修が生涯にわたって主役のゴッホを情熱的に演じた。
わたし自身は子どもの頃、テレビの劇場中継でこの演劇を見たことがある。滝沢修は「新劇の神様」とも呼ばれる人で後白河法皇を演じさせたら日本一との世評もある。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で西田敏行がやった役だ。昭和の時代だからぼやけたブラウン管のテレビ画面だったけれど、それでも滝沢修の熱演は伝わってきた。わたし自身、ゴッホの顔を思い浮かべようとすると、苦悩にもがく滝沢修が出てくる。