コロナ禍を経て急速に前に進みだした日本のDX。そこには日本人がまだ気づいていない「落とし穴」がある。『人新世の「資本論」』(集英社新書)の著者・斎藤幸平氏と、『デジタル・ファシズム』(NHK出版新書)の著者・堤未果氏、ベストセラーの著者二人が、GAFAM支配の資本主義の危うさと、日本の近未来の関係について展望する――。(前編/全2回)
デジタルがなぜ「ファシズム」なのか
【斎藤】『デジタル・ファシズム 日本の資産と主権が消える』(NHK出版新書)を、とても興味深く読ませていただきました。巨大テック企業が民主主義を脅かし、社会を根本から変えてしまうという、堤さんの危機感に、私も賛同します。
【堤】ありがとうございます。そもそもこの本を書いた最初のきっかけは、米国取材中に感じた、「新自由主義が進化し続けた先には、必ず全体主義が来る」という、確信でした。
【斎藤】まずはタイトルに注目したいのですが、一般には、資本主義の掲げる「自由」と堤さんの言う「全体主義」や「ファシズム」は真逆のものと考えられがちですよね。ところが、その資本主義の掲げる「自由」が、民主主義の否定につながる、と。これはどういうことでしょうか。
【堤】そうなのです。実はこのタイトルに関して、同じような問い合わせが複数ありました。全体主義やファシズムというと多くの人は、国家が暴力や脅しで強制し、特殊警察や密告システムのような手段で情報を集め、民衆を管理統制する、ナチスドイツやスターリン下の旧ソ連のような体制をイメージするでしょう。
でも今進んでいるのは、かつてのものとは違う特徴を持つ新しいタイプの全体主義です。斎藤さんがおっしゃった、資本主義が掲げる「自由」は、過去数十年で歪められてしまいました。
80年代以降のアメリカを見るとわかるように、グローバル化とIT革命で多国籍企業と金融業界の力が非常に強くなり、利益拡大と効率化を旗印にした新自由主義が台頭した結果、資本主義が健全に機能するために不可欠な「適切な規制」が、次々に外されてゆきました。少数のトップ企業が、中小企業やスタートアップ企業をことごとく吸収し淘汰して寡占化が進み、「自由競争」が消滅していったのです。