※本稿は、川上康則『教室マルトリートメント』(東洋館出版社)の一部を再編集したものです。
こじらせ教師が醸し出す、独特の雰囲気
ある朝のことです。
私は、いつものように廊下ですれ違う子どもに「おはよう」と声をかけました。いつもは視線がちゃんと合う子どもなのに、その日は、全く返事がありません。そして私の肩越しに、かなり遠くの方を見ているのが分かりました。
そんなことが何度かあり、その子どもが何に注目しているのか、視線の先を確認するようにしました。すると、その先にはいつも「かなり圧の強い」教師がいました。教師がどう行動するかをうかがっている様子がはっきりと分かりました。
言葉でのやりとりがあまり見られない知的障害がある子どもたちも、大人の支配的な圧を敏感に感じ取ることがあります。むしろ、自分の思いを上手く表現できずにいるからこそ、周囲に事実が伝わらないことが多々あるのではないでしょうか。その経験から、私は、自分以外の大人といる時のその子どもの視線や表情を確認するようになりました。
教師の中には、
「私についてくれば間違いないからね」
「おれが全てを握っているからな」
といった雰囲気を醸し出しながら、子どもを自分の「子分」にしていく方がいます。圧をかけるだけでなく、ときに褒めることもしながら、相手をコントロールしていきます。
そうしたかかわりを続けていくうちに、その教師の前だけはいい子を演じるようになり、その他の場では行動が荒れるということがあります。中にはこのことを「学校で頑張っているから、家ではわがままを言わせてあげてください」と説明する教師もいます。
「強面キャラ」役割を演じ続け、人格が変わっていく
また、紹介したあいさつのエピソードのように、他の教師の前ではすごく穏やかな表情をしているのに、ある人が視界に入ると、急にぴりっとした雰囲気になったり、恐れ戦くような表情になっていたりすることもあるかもしれません。
教師側の全てに、子どもを怖がらせたい、子どもを支配したいという意図があるわけではないと思いますが、結果として、「教室マルトリートメント」(※)になってしまっているということは多々あります。
※子どもの心を傷つける不適切な指導を表す筆者造語。「マルトリートメント」そのものは、不適切なかかわり・好ましくない子育てを表す概念
学校は、一歩間違えれば、洗脳による支配が往々にして起き得る場だということに十分留意しなければならないと思います。それだけ、学校は特殊空間であるということです。
学校の中には、生徒指導上「強面キャラ」「厳格な父親的キャラ」を求められる雰囲気があります。いわゆる「あの先生が一喝すれば、ビシッとする」的な存在の教師です。仮に「役割として求められている」という認識があったとしても、それが繰り返されれば人格まで変わっていきます。
そして、誰もその人に意見できない空気感を漂わせ、その人自身も自分の立場に依存するようになります。職員室でも教室でも、相手にマウントをとることでしか自分の存在を示せない教師になってしまうことは、とても怖いことだと思います。