イデオロギー対立の犠牲になった国際主義
長い間、憲法問題は、左右のイデオロギー対立の主戦場とされてきた。護憲派と改憲派の戦いが、日本の国内政治の対立構造を性格づけてきた。
その対立構造の最大の犠牲者が、国際主義であった。
日本国憲法は本来、日本を国際協調主義の国に生まれ変わらせるために制定されたものだ。しかしそれは左派にとっても、右派にとっても、アメリカの影響を認めなければならない点で、屈辱的な歴史であった。そのため、左右のイデオロギー対立が憲法をめぐって加熱すればするほど、憲法の国際協調主義は埋没していくのが常であった。
護憲派として知られる左派勢力は、激しく敵対する右派勢力を蹴落とすために、改憲派に対して「軍国主義の再来」といったレッテルを貼るのを常套手段とする。そして戦前の日本の軍国主義に対置させて、日本国憲法から彼らが読み取ろうとする絶対平和主義を正当化する。
左派勢力が信奉する日本国憲法の絶対平和主義は、世界で唯一、かつ最も前衛的なものであるとされる。ところが、その憲法9条がアメリカ人によって起草されたという事実は、左派勢力によって、隠蔽すべき恥部である。
そこで左派勢力は、あらゆる詭弁を使って、日本国憲法とアメリカのつながりを分断しようとする。歴史的経緯として9条を作ったのは日本人の幣原喜重郎であったといった物語から、9条の内容もアメリカ人が想定したことを飛び越えているといった物語を、大真面目に推進し続けてきた。いずれも精緻な学術的検証に耐えられる主張ではなかったが、憲法をアメリカの影響から切り離し、日本人だけのものにしたい、という一般大衆の潜在的願望に訴える態度ではあった。
左右両方が利用したアメリカへの複雑な心情
一方、戦前の日本を擁護する立場に立つ伝統的な右派は、「押し付け憲法」の無効を訴えてきた。アメリカによる占領の時代に、日本を骨抜きにしてしまう憲法が作られてしまった。自主独立を果たすためには、憲法の再制定が必要だ、という議論である。こうした右派の主張も、やはりアメリカ人の関与のない日本人だけの憲法を持ちたい、という一般大衆の潜在的願望に訴える点で、左派勢力との呉越同舟的な性格を持っていた。
太平洋戦争の惨禍を経験した世代の人々は、アメリカに依存する外交政策を心の奥底では認めつつ、イデオロギー的心情ではアメリカを否定する態度をとることが、自然であった。左右両派とも、そうした国民感情に訴えた。結果として、日米安全保障条約とともに運用されてきた日本国憲法の国際協調主義は、隠蔽されるか、そうでなければ軽視されるのが常となった。