たとえば70年代初頭、排ガス規制を大幅に強化した米マスキー法をCVCCエンジンで真っ先にクリアしたのもホンダなら、87年に日本で初めて量産型エアバッグを実用化したのもホンダである。実は小林自身、エアバッグの開発者として自動車産業史にその名を刻む伝説的なエンジニアだ。

ところが冷静に見れば、当時のホンダは、日産やトヨタに比べて人材や資金面でずいぶん見劣りしていた。海の向こうには、GMやダイムラー・ベンツといった強敵が控えている。そのなかでホンダは、彼らと互角以上の勝負を繰り広げてきたのである。

なぜそんなことができたのか。

ホンダの商品開発における最大の特徴は、徹底して本質論を戦わせる「ワイガヤ文化」が根付いていることだ。それを機能させるため、中間の階級をできるだけ省いた文鎮型組織を取り入れていることも重要だ。小林が「上の奴も偉くない」というのは、このことを指している。

だが、ホンダという会社のほんとうの凄さは、10兆円企業に成長したいまも、社員一人ひとりがベンチャー時代の熱気を保ち続けていることだろう。10年2月、ホンダはまた一つ、熱気の塊のような商品を世に送り出した。

世界初のハイブリッド・スポーツカー、CR-Zである。発売から一カ月で予測の10倍にあたる1万台を受注した。クルマ好きに強く訴えかける官能的なスタイルと、モーターのアシストで力強く加速する走りのよさ、そしてハイブリッドらしい低燃費。それらすべてが客の気持ちをつかんだ。

舞台は04年に移る。