国家権力と結びついて暴走し、人民救済を忘れる

北海道開拓が進むに従って、東北や北陸を中心とする内地から人々がムラ単位で入植していった。その際に、寺院や神社が一緒にくっついていった。

宗教施設は、移民のコミュニティを強化する役割であり、故郷の象徴でもある。また寺院は、開拓中に死んでいったムラ人の弔いという重要な機能も担った。北海道の開拓には、浄土真宗教団が真っ先に手を挙げている。1869(明治2)年、まず、東本願寺が北海道開拓に乗り出す。

東本願寺の北海道進出を機に、他宗でも同様の動きがみられた。興味深いのは浄土宗の増上寺が、1869(明治2)年9月に日高地方や色丹島などの開拓を認められ、入植を始めたことである。驚くべきことに北方領土の一角である色丹島全体が増上寺の寺領であったのだ。

北海道はあまりにも広く、また新政府の予算も潤沢ではなかったため、地方行政府や有力寺院などに土地を分け与えて支配させた。これを分領支配という。開拓した色丹島は、正式に増上寺の寺領として組み込まれた。だが、寺領であったのはわずか1年ほど。1870(明治2)年、新政府に上知(土地の召し上げ)されている。

北方領土
写真=iStock.com/laymul
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いずれにしても、北方四島には明治以降、入植者が相次いだ。そこには、浄土真宗本願寺派、真宗大谷派、浄土宗、曹洞宗、日蓮宗など計24の寺院(無人の地蔵堂などを含む)が建立されたとの記録がある。

太平洋戦争時、仏教は、ロシア正教のウクライナ戦争協力以上の戦時加担をした。戦闘機や軍艦の献納運動などを積極的に展開していった。

戦時色が濃くなると、宗教団体を国家の管理下におく宗教団体法が施行され、「信教の自由」が奪われる。宗教はさまざまな活動の制限や干渉を受けるが、もはや仏教界は政府や軍部と同化しており、完全にファッショに染まっていた。

日本が敗戦を宣言した直後、ロシアは北方四島に侵攻。今度は日本人が追い出され、寺や神社はことごとく壊された。その代わりに、ロシアが真っ先に建立したのがロシア正教の教会だった。

結果的に日本の近代戦争は仏教に大きな代償を払わせた。都市部の寺院は空襲で破壊された。4600カ寺以上、およそ6%に相当する寺院が焼失した。先人から受け継いだ貴重な文化財が灰燼かいじんに帰してしまった。

国家権力と結びついた宗教は暴走を始め、人民救済という本分を忘れてしまう。結果的にはその宗教自身も瓦解がかいすることになる。それは、歴史が証明しているのだ。

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