家族を喪った人たちは、どんな気持ちで過ごしたのか

当初は、高齢者や基礎疾患のある人など、災害弱者と呼ばれる人が被災後に亡くなる現象としか受け止めていなかった。しかし3.11からしばらくすると被災地から悲報が相次いだ。取材を通して知り会った飲食店の経営者が突然、病に倒れて障害を負った。被災地に暮らす知人が自死と疑われるような死に方をした……。そのたびに答えの出ない問いを反芻した。営業再開を焦るあまり、ムリを重ねてしまったのか。元気そうに見えた彼は、命を絶つほど、追い詰められていたのか。

被災し、日常を奪われ、家族を喪った人たちは、震災後の歳月を、どんな環境で、どんな気持ちで過ごしたのか。そんな問いが、私が災害関連死の現場を歩きはじめる原動力となった。いつしか関心は、どうすれば彼らは救われたのかへと変わっていった。遺族や関係者の証言を重ねるうち、やがて確信した。災害関連死の事例を収集、検証するプロセスが、次に起こる災害に必要な防災や支援の仕組みを構築する手がかりになる、と。

災害関連死は「最期の声」と呼ばれる。1つ1つの「最期の声」に耳を傾け、再発防止に取り組む、さくらさんたち遺族や支援者たちの存在を知ったからである。

1995年の阪神・淡路大震災で「災害関連死」が生まれた

だが、そうした問題意識が共有されているとは言いがたい。

災害関連死という考え方は、1995年の阪神・淡路大震災後に誕生した。それまで、自然災害の犠牲者と言えば、直接死に限られた。

阪神・淡路大震災の被災地では、寒い避難所での暮らしで風邪をひき、肺炎をこじらせて亡くなったり、生活再建の望みを絶たれた被災者が自死したりするケースが増え、直接死以外の枠組みを設ける必要に迫られたのである。

学校の体育館
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内閣府が災害関連死を次のように定義付けたのは、それから24年が過ぎた2019年4月。

当該災害による負傷の悪化又は避難生活等における身体的負担による疾病により死亡し、災害弔慰金の支給等に関する法律(昭和48年法律第82号)に基づき災害が原因で死亡したものと認められたもの

内閣府の定義にある〈災害弔慰金〉とは、災害遺族の心痛や悲しみに対する市町村からの見舞金と考えるとわかりやすい。生計を担う人の場合は500万円、それ以外は250万円が支給される。

自治体は、申請された死に災害が影響しているかを検証する審査委員会を開く。そこで、災害と関連性があるとされれば、災害弔慰金が支払われ、災害関連死と認められる。

災害関連死に認められたとしても、遺族は目の前で苦しむ大切な人を助けられなかったという後悔に苛まれる。それでも認定を受ければ、災害遺族や災害遺児となり、奨学金や一人親世帯へのサポートなどが受けやすくなる。災害弔慰金ともに、生活再建の一助となるのである。