官僚に経営を丸投げする企業は、主権を放棄している
こうした構図ができてしまうのは官僚側にも問題はありますが、それ以上に官僚に企業統治、経営そのものを丸投げしてしまう、企業側の問題は根深い。ほとんど主権を放棄しているに等しいからです。
何か新しいことをするときに、いちいち官僚に判断を仰ぐだけではなく、官庁から明確な判断などが出ないと、忖度して何も新しいチャレンジをしない企業側に問題があると思います。企業による官僚依存症を直さないとこの問題は解決できないと思いますが、依存症はむしろ強くなってきているのではないかと思います。
ブロックチェーン技術の新しいサービスへの活用などは、日本がリードできる新しい領域であると思いますが、日本では官僚を中心にルールを決めることに時間を費やしているために、シンガポールなどに逃避する日本人起業家が出ているのもこの影響だと危惧しています。
かつては官僚に忖度せず、企業中心で規格統一をしていました。僕も当事者としてかかわったこんな出来事がありました。
DVDの規格統一を巡る東芝との折衝
DVDの開発で、規格の統一問題が起きたときに、僕は担当役員で、東芝は後に社長に就任する西室泰三さん(故人)が担当役員でした。東芝はマイクロソフトと組んで開発をしていて、ソニーとは規格で対立していたのです。
それで担当役員同士で折衝をしていたのですが、西室さんが突然、怒りだして、席を立って会議室から出て行ってしまったのです。僕は呆然としてしまいました。おそらく、自分の主張を通すためのポーズだったのでしょうけどね。社内の会議でも滅多にお目にかかれない光景だったので驚きました。
結局、西室さんが席を立ってしまったから、当時の社長だった佐藤文夫さんと話すことになったんです。佐藤さんはとても真摯で、かつ優秀な方でした。
状況を少し詳しく書かせてもらいますが、1990年代初頭に、ソニーはオランダのフィリップス社と組んでCDよりも高密度の光ディスク媒体「MMCD」の開発を進めていました。一方で、東芝と松下電器、日立、タイム・ワーナーなどの連合は、「SD」という光ディスク媒体の開発を進めていました。
このままでは、まったく異なる規格の次世代CD(後のDVD)が世に出回り、ユーザーを混乱させる事態になりかねない状況だったのです。