過去にロシアが外国人義勇兵に示した姿勢から考えると、捕らえられた戦闘員にとってこの方針は実に厳しいものになる。チェチェン紛争の際にロシアは、テロリスト側についた疑いのある外国人は見つけ次第、殺害すると表明した。現に04年、カナダ人の映画関係者が殺された。ロシア政府によれば、この人物は反乱勢力に爆発物の使い方を教えていたという。

ロシアは3月13日、ポーランドとの国境地帯にあるウクライナの軍事施設をミサイルで攻撃した。その理由は「西側の傭兵の訓練施設」だったためとされている。

こうしたロシアの姿勢は、大きな問題につながりかねない。外国人兵士の法的地位の問題だけでなく、彼らが処刑されたり虐待を受けた場合に出身国の政府や国民がどう反応するかという問題が浮上するからだ。

この問題は現代史に常に付きまとってきた。安全保障の専門家は、外国人義勇兵を正規の外国人部隊とは異なる存在として定義する。多くの義勇兵は正規軍に入らず、ゲリラや民兵と共に戦うからだ。

外国人義勇兵の定義が正規軍に迎えられる傭兵と別のものになるのは、彼らが国家に雇われず、金のために戦っていない場合が多いことによる。例えば過激派組織「イスラム国」(IS)のために活動する自爆犯がそうだ。

外国人兵士は何世紀も前から紛争に付き物

細かな定義からすれば、今回の紛争で傭兵と呼べるのは、ウクライナ東部のドンバス地方で親ロシア派の分離独立主義者と共に戦う一部の外国人兵士だけだろう。しかし外国人兵士が受ける過酷な扱いとそれに対する反発は、貴重な教訓となる。ウクライナの戦場や街中で捕らえられた兵士に対するロシアの扱いが、対立する国々の決意を高め、戦争へと駆り立てていくことになりかねないからだ。

外国人兵士は何世紀も前から、紛争に付き物だった。1836年、当時メキシコ領のテキサスで、独立派が約2000人の外国人義勇兵に助けられて反乱を起こした。メキシコ大統領だったアントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナは今のロシアのウラジーミル・プーチン大統領と同様に、敵を非合法の存在と見なし、外国人をすぐさま処刑した。

だが「アラモの戦い」のような熾烈な戦闘の後、メキシコが欧米人捕虜を大量処刑したことで、アメリカをはじめ他の国々でもテキサスの独立を支持する世論が沸き起こった。復讐に燃える義勇兵が続々と戦場に押し掛け、メキシコによるテキサスの支配を終わらせた。