私の頭の中では、これは物理現象である

それはあたかも、溶媒や溶質の通りの悪い半透膜がどんどんスカスカになって、最後には形を保つだけの全透膜になったようなイメージだ。ボーダレス・ワールドにおいて、国境は国民国家という19世紀的な形状を保つだけの機能しかないのだ。

私の頭の中では、これは物理現象である。ある現象に働いている力を観察し、分析して、その力が何を引き起こすのかを導き出す。そこで使うスキルは物理学であり、私がやっていることは学生時代から何も変わっていない。コンサルタントになってからも、そして今も、学生時代にとことんやった自然科学の方法で世の中の現象を分析したり、戦略を作っている。

物理学とは、感情などを差し挟まずに自然を観察する学問である。物理学者としての私の原点はファラデーの『ロウソクの科学』で、高校時代に岩波文庫でその手の自然科学の本を片っ端から読んだ。

物事の本質を探求するとき、二通りの方法がある。ひとつは哲学など人間の思想思索で答えを出す方法。もうひとつは、アルキメデスが風呂に入って溢れたお湯から閃いてニセモノの王冠を見破ったような、物理学によるアプローチだ。その中間にあるのが、論理で説明しようとする論理学である。

たとえば、日本の国力が衰えるのは自然現象だと私は考える。少子化、高齢化、そして一人暮らしが増える単身化、この三拍子が揃った社会が活力を維持して繁栄するのは難しい。平均年齢が27歳のトルコはまだこれから20年伸びる余地があるが、生殖年齢をオーバーした人が多数派の日本はそうはいかない。ある意味、日本という集団社会の物理学なのである。

そう考えると、奇跡は起らないし、集団としての日本の将来もある程度予測できる。過去に訣別し、統治機構も含めた抜本的な改革を行わない限り、日本経済が再浮上することはあり得ない。経済学者が何の役にも立たなくなったのは、閉じた国家の中でのカネとか需要を論じる19世紀の理論を振り回しているからだ。ボーダレス経済では現象としては金利を上げると海外から資金が入ってくるし、いらない金をばらまけば海外に“キャリー”されるだけだ。つまり経済学者の言うことと逆さまの現象が国境なき経済では普通なのである。

一方で、社会を人の集団心理がつくるものと見なし、政治を集団心理の操作としてとらえようとする考え方もある。マックス・ウェーバーの社会学などはそちらに近い。マックス・ウェーバーの言っていることは大変正しい。しかしながら運命論的なその視点をすべて受け入れてしまうと、何も変えられない。

私は物理学も取り入れて、真実を謙虚に見つめ、考えることができれば、社会も政治も変えていけると思っている。例えば、軍隊や警察を国民国家が正当に持つことのできる「暴力装置」と呼んだが、わたしは今の暴力装置は「世論」と「市場」だと思っている。民主主義の生まれた国ギリシャを見ているとわかるが、あの国を滅ぼしているのは(そしてやがて日本を滅ぼすであろうものは)啓発されていない多数が決める衆愚政治であり、それを制裁するのが「市場」となっている。この2つが国家を破壊しているのである。

だから私の政策提言は哲学的思考と物理学的思考の両立を心掛けている。この2つをうまく使いながら、デッドポイント(死点)にはまって身動きが取れなくなっている日本をクルッと動かすために、国民が持っている平均的なウェイト、日本人の意識の重心を少し滑らすことはできないものかと知恵を絞っている。

(小川 剛=インタビュー・構成)