「叱る」は過大評価されている

「叱らないと叱られる」のに「叱っちゃダメ」と言われる矛盾を私たちはどう考えればよいのでしょうか? 大切な視点として、両者の背後には「叱る」への過信があると私は考えています。

叱らないと叱られる。

この裏側には「叱ることには大いに効果があり、(子育てや教育、人材育成において)必要なのだ」という認識があるはずです。そうでないとわざわざ「叱る」を推奨する必要がないからです。

でも実は、「叱る」にはそんなに大した効果はありません。少なくとも、「叱る」による人の学びや成長を促進する効果は、世間一般に考えられているほどではないのです。

一見するととても「効果があるように感じる」だけで、実は課題解決にはあまり役に立っていません。「叱る」という行為の効果は、実際よりも過大評価される傾向があるのです。それどころか、効果よりもはるかに大きな弊害が生じていることが、さまざまな研究により近年盛んに指摘されています。

やめたいのにやめられない

「叱っちゃダメ」と叱られる。

読者のみなさまの中には「叱るのがダメなことは知っている」「何を当たり前のことを言っているのか」と感じた方もいるかもしれません。なるほど確かに「叱る」を禁止する考え方もまた、広く普及しています。

しかしながら実は、この「叱っちゃダメ、ほめましょう」という主張にも注意が必要です。「叱る」という行為を単純に否定し、絶対にしてはいけないと強調すること、そして「叱る」に代わる行為として「ほめる」を推奨すること。よくあるこういったメッセージは、それ自体が間違っているわけではありませんが、叱っちゃダメと言われたからといって、はいそうですかと「叱る」をやめることができる人はあまりいません。むしろ「どうしたらいいのかわからない」となってしまう場合が多いように思います。

「叱る」をやめたくてしかたがないのにやめられず、迷い彷徨ってしまう人がたくさん生み出されてしまうのです。

例えば、よくないことを何度も繰り返すお子さんを目の前にして、または同じようなミスや失敗を繰り返す部下に困り果てて、「叱っちゃだめなら、どうすればいいの? こんな状況でほめられない!」と頭を抱えてしまう人の姿は、容易に想像できるかと思います。