海外の未収容遺骨数は約112万柱。半数しか戻ってない
曹洞宗の当時の『宗報』(1937年、昭和12年9月)にはこのように書かれている。
一.多数戦死者ノ合同葬儀又ハ殊勲者ノ葬儀ニ際シ特ニ本宗代表者ノ会葬必要アル場合地方宗務所長ハ本宗ヲ代表シ会葬ノ上管長ノ弔詞ヲ代読スヘシ其ノ会葬経費ハ地方宗務所ノ負担トス 但各鎮守府竝要港部ハ前項ヨリ除外ス
二.一般戦死者又ハ之ニ準スル軍人軍属ノ葬儀アル場合其ノ地方軍人布教師ハ勿論其ノ近隣寺院住職ハ成ルヘク会葬ノ上弔意ヲ表スへシ但両大本山貫首代理又ハ管長代理ノ名儀ヲ以テ会葬シ又ハ弔詞ヲ呈スルコトヲ得ス
三.戒名ハ其ノ菩提寺ヨリ授与スヘキモノナレトモ戦死又ハ之ニ準スル軍人軍属ニシテ生前ヨリ戒名授与ヲ希望シアル者ニ限リ其ノ菩提寺ヲ通シ申請有之場合ニハ審議ノ上管長ノ慈慮ヲ乞フコトアルへシ但院号及居士号ハ将校竝同相当官ニ限リ其ノ他ノ者ハ菩提寺ノ権限トス
四.戦死者又ハ之ニ準スル軍人軍属ノ遺骨送還セラルルヲ聞知シタル場合ニハ成ルへク適当ナル場所ニ出迎へ弔意ヲ表スヘシ 宗務所長ハ前各号ニ関シ数区長ヲ通シテ各寺院ニ無漏悉知セシムへシ
「三」には戒名の取り扱いについての指示があるが、これはどの宗派でも同様であった。戦死者の戒名には、もれなく最高位の「院」や「居士」が与えられた。また、戒名の文字には「義」「烈」「勇」「忠」「國」「誠」などの国粋主義を連想するような文言が選ばれている。
例えば、「報國院義烈○○居士」という名付け方である。戦時戒名は日中戦争を契機にして付けられ、終戦をもって完全に姿を消している。
軍人の墓も特別なものだった。わが国において、一般的な石塔は四角柱だが、軍人には「奥津城」と呼ばれる神道式の墓を立てるよう、軍部から寺院へと指示がなされた。英霊は先祖代々の墓には入らず、ひとりで奥津城に祀られているのが特徴である。
外見は古代エジプトの石柱オベリスクのような、上部が尖った四角柱である。奥津城は日当りのよい、墓地の中でも一等地に立てられていることが多い。また、奥津城だけを集めた戦没者墓地をつくって祀るケースもある。いずれにしても、戦死者は遺骨が戻ってこないことが多く、奥津城に納めてあるのは遺品や戦地の石、出征前に家族に残した遺髪などである。
海外戦没者約240万柱のうち、実際に遺骨が戻ってきているのは2021年時点で約128万柱。未収容遺骨数は約112万柱だ。つまり、戦後77年が経過してもおよそ半数しか、遺骨が故郷に戻ってきていないのだ。
現在でも各国で遺骨収容事業は実施されている。しかし、厚生労働省では相手国の事情などにより収容が困難と判断しているのが約23万柱もある、としている。撃沈された軍艦などに乗っていて海没した遺骨が約30万柱とされている。
ちなみに未収容遺骨が残っている国で最も多いのがフィリピンの約37万柱、次いで中国東北地方(ノモンハンを含む)が約21万柱だ。ロシア・ウクライナを含む旧ソ連の、未収容遺骨は約3万体以上あるとみられている。政情が不安定になれば、遺骨収容事業は中断される。
遺骨収容が途上にあるということは、日本の「戦争」は終わっていないことを意味する。遺骨を収容し、日本への帰還を果たしたうえで葬儀、供養をしてはじめて、戦没者と遺族の戦争が終わる。旧ソ連の地に多くの日本人を残している以上、このウクライナ戦争は私たちも、決して無関係ではいられないはずである。