「なぜ、日本にノートパソコンの生産を持ってきたかったかといえば、われわれ外資系企業の日本法人は、日本以外でビジネスができないからです。われわれは、ある意味で日本企業以上に日本に元気になってほしいと願っているのです」
なるほど。外資系企業の日本法人は、日本のマーケットがダメになったからといって、別の国で商売をするわけにはいかないわけだ。だから、切実に日本が元気になることを願っている。「外資=日本企業の敵」という公式もあるような気がするが、むしろ外資の日本法人は、日本の強力な応援団であるらしい。
日本ヒューレット・パッカードのメードイン・ジャパンならぬメードイン・トーキョーの歴史を振り返ってみると、それは03年にさかのぼる。
すでに99年から日本でデスクトップパソコンを生産していたコンパックと、日本ヒューレット・パッカードが合併したのが02年。03年に、両社の生産拠点を東京都昭島市に集約させている。
もともとコンパックの社員だった岡は、99年のデスクトップパソコンの日本生産開始の際も、本社と3年越しの交渉を重ねて承認させた過去を持っている。なぜ岡は、そこまでして日本での生産にこだわるのか。
「日本を元気にしたいというのはいわば心意気の問題ですが、本音を言えば、日本でつくったほうがビジネスとしてメリットが大きいんですよ」
円高によって価格競争力を殺がれたメーカーは、安価な労働力を求めて東南アジアへ、あるいは中国へと逃れていくはずではなかったか。
「コンパックがデスクトップパソコンの国内生産を始めた99年当時、中国と日本の人件費のギャップはいま以上に大きかった。しかし、製品のコストを構成する要素は、決して人件費だけではないのです」
岡によれば、中国でコンピュータを生産すると、たしかに人件費は安くつくが輸送費はむしろ高くついてしまう。海外生産の宿命である「納期が長くなる」というデメリットを挽回しようと思ったら、船ではなくて飛行機を使わざるをえなくなるからだ。飛行機による輸送コストは、当然、高い。
そして、この納期の問題は、ひとり自社だけの問題にはとどまらないという。パートナー企業、すなわち日本国内の販売代理店にとっても重大な問題なのである。