ロシア政府は、戦争の人的側面(および国民国家の強さの人的側面)を無視する代償として、ハードウェアへの投資を続けている。また、情報化時代における成功は、たとえそれが軍事的成功であっても、教育、オープンな構想、さらには自由が要求されるという現実をロシアの指導者たちは無視してきた。
「権力を維持したい独裁者は決して、配下の軍指導者に多くの技能を教えようとはしない」と、前出の退役陸軍大将は本誌へのメールで書いている。サダム・フセインやプーチンのような指導者は、部下の軍人があまりにも優秀であるとクーデターを起こす可能性が高まると見なすからだ。
アメリカの軍事アナリストや専門家は、ロシアによるウクライナ侵攻のこれまでの展開を見ながら、いくつかの教訓を抽出した。2月24日の現地時間午前4時頃、ロシアは主に4方向から攻撃を仕掛けた。ウクライナの首都にして最大の都市(人口約250万人)のキエフを攻撃する部隊は二手に分かれ、70マイル(約113キロ)北にあるベラルーシ領とさらにその東側のロシア領から進軍した。
第2の部隊は、ロシア国境から20マイルも離れていないウクライナ第2の都市ハリコフ(人口140万人)を急襲した。そして、第3の部隊はロシアが占領したクリミアと南の黒海からウクライナに入り、ウクライナ第3の都市オデッサ(人口100万人)を東から狙った。第4部隊は東からルガンスクを西に突き進み、親ロシア派が支配するドンバス地域から攻め込んだ。
物量だけの大攻勢
陸の侵攻と同時に、ロシアのミサイル160発が空、陸、海から標的を攻撃した。攻撃にはロシア爆撃機と戦闘機約80機が同行し、2度に渡る大攻勢をかけた。米情報筋や現地からの報告によると、最初の24時間で約400回の攻撃を行い、15の司令部、18の防空施設、11の飛行場、6つの軍事基地を攻撃したという。
圧倒的な攻撃ではなかった。だが欧米のアナリストの多くは、ロシアとしては地上軍が首都を占領し、政府を転覆させるための道を開くだけでよかったとみている。特に初日の攻撃では、ロシア空軍とミサイル部隊のごく一部しか動員されていないことからすると、追加の攻撃が行われるはずだ。
24日の終わりまでに、ロシアの地上部隊は短距離砲撃とミサイル攻撃でみずからを援護しながらウクライナに進駐した。ロシアの特殊部隊と破壊工作員は、制服と私服の両方でキエフの市街に姿を現した。キエフの北西にあるホストメル空港には、地上軍に先駆けて落下傘部隊が降下した。
最も侵攻が進んだのは、ウクライナの北東端、ロシア最西端のベルゴロドからキエフに至る一直線上のルートだった。首都攻撃をめざす第2のロシア軍部隊は、キエフから約200マイル(約320キロ)の地点から出発していた。