リストラの嵐の中でも、JAL社員に対する世間の眼は厳しい。残ることに決めたBさん(30代後半、独身)は語る。

「制服で食事していたら、『国の税金で何してるんだ』とカラまれたんです」

ついに、大規模人員削減の手は「聖域」といわれていたパイロットにまで伸び、約160人が希望退職に応募した。

ついに、大規模人員削減の手は「聖域」といわれていたパイロットにまで伸び、約160人が希望退職に応募した。

同じような事件が多発した結果、業務時間外に制服で出歩くことは禁止された。

破綻の遠因にもなった高額の人件費。客室乗務員に関しては、1995年に新卒の契約社員制度が導入された頃から過去のものとなったが、盛時は30代で年収1000万円超が当たり前だった。

しかし、経営破綻が明るみに出た昨年秋でさえ、先輩のベテラン乗務員たちは、「きっと国が助けてくれるわよ」とのんきに話していたとBさんは証言する。

過去の贅沢のツケの多くは、現場を預かる若手に押し付けられている。新卒以外にも、JALは同社や他社を一度退職した経験者を、契約社員という形で積極的に採用してきた。しかし、彼女たち再雇用の契約社員は、全員、次の契約終了時の雇い止めを言い渡されたという。ANAを結婚退職後、JALに再雇用され、月に数回飛んでいたCさん(30歳)もすでに雇い止めとなった。

「JAL正社員の月収が、契約社員の年収より多いことも普通にありました」

と嘆くCさんがANAに入社した頃、同社においても、すでに客室乗務員の労働環境は非常に厳しかったという。

「でも、ANAの厳しさは無駄なコストをカットして、お客様に対するサービスは徹底するという姿勢からくるものでした。だけどJALはお客様より社員至上主義の会社。社員間の待遇改善や労働管理が仕事のゴールになっていた」とCさんは語る。サービスに関しても、何かにつけ「あなたはANAから来た人だから……」と言われて、JALのプロパーCAと差別された。

「外資も含め、他社で豊富な経験がある人を採用しているのに、そのいいところを取り入れようとはしなかった。とにかくJAL色に染めようとするんです」

正社員でも旧JASから来たCAは「ジャス子」と呼ばれて、差別的な態度を取られていたという。

金融危機前から、すでに世界の航空運賃は低く抑えられた時代。赤字を垂れ流しながら飛んでいたのにもかかわらず、多くのJAL客室乗務員のプライドは、高度1万メートルの上空飛行のまま果てしなく高かったのである。

「一目でブランドとわかる時計は勤務中につけないように指導されていましたが、カルティエなどの高級時計をさり気なくつけて勤務する人もいた」(Cさん)

(小倉和徳、宇佐見利明=撮影)