「新人発掘」の1期生だった荒川静香さん

当時はフィギュアスケートというとテレビでの試合の中継も少なく、メディアで大々的に取り上げられることは無かったと思います。

プロフィギュアスケーターの佐藤有香さん(撮影=吉成大輔)
プロフィギュアスケーターの佐藤有香さん(撮影=吉成大輔)

そんな状況でしたが、伊藤みどりさんの89年の日本人として初めての世界選手権優勝、92年のアルベールビル五輪での銀メダル獲得、そして私の94年の世界選手権の優勝後には国際的に一流とされていた欧米のアイスショーが日本でも開催され、ショーやイベントのテレビ放映も一時的に増加しました。また、92年からは日本スケート連盟が新人発掘合宿を開催するようになり、若い実力のある選手の養成も行い始めたのです。その新人発掘合宿の1期生として合宿に参加していたのが、2006年のトリノ五輪で金メダルを獲得した荒川静香さんでした。

荒川静香さんは確かな技術のセンスと技を習得する理解力に秀でている選手。彼女が実力をいかんなく発揮して日本女子初の金メダルを獲得して以降、特徴的な「イナバウアー」もあってかメディアでフィギュアスケートが取り上げられる機会が各段に増えました。そして、2006年に荒川静香さんが引退した後、すぐに頭角をあらわしたのが浅田真央さんです。彼女はただ競技面で強いだけでなく、華のある演技や親しみやすい人柄で多くのファンを獲得したことは皆さんがご存知の通りでしょう。

2人の登場が日本のフィギュアスケートを変えた

荒川さんの金、浅田さんのシニアデビューは当時のフィギュアスケートの2つの状況を変えました。

ひとつはスポンサーの獲得。彼女らの活躍によって、フィギュアスケート選手にもスポンサーがつくようになったのです。フィギュアスケートは海外の試合への遠征、指導を受ける費用など、莫大なお金がかかる競技。スポンサーがつくことによって有望選手が競技そのものを継続できるようになりました。また、それだけではなく世界の指導者から一流の指導を受けに行くこともできるようになりました。

例えば、浅田真央さんは、現在ネイサン・チェンのコーチをしているラファエル・アルトゥニアン、ロシアの指導の第一人者であるタチアナ・タラソワ、世界的な振付師のローリー・ニコルなどの一流の方々から一流のテクニックを、世界を飛び回りながら教わっています。彼女の才能やセンスは素晴らしいものでしたが、それを花開かせるのはこうして下地を作ることができたからではないでしょうか。