重要なのは「帰らない・迎えに行かない」

それでは、なぜ帰宅困難者対策を行わなければいけないのでしょうか。帰宅困難者対策を行う意義として、まず考えられるのは大都市・大震災・大混雑問題の解決というものです。

東京や大阪などの大都市中心部で、平日の昼間に震度7や震度6強などの大きな揺れをもたらす地震が発生すると、家族を心配してあるいは勤めている事業所が被災して物理的にとどまることができず、多くの方がすぐに帰宅行動をとるであろうことが推察されます。また東日本大震災でもあったように、大都市中心部で孤立している家族を車で迎えに行こうとする交通需要の発生も考えられます。

このように大都市内の大部分の通勤者が一斉に帰宅したり、迎えに行く自動車交通需要が急激に増加することで、歩道や車道でこれまでにない過密空間や交通渋滞が生まれ、群集事故が起きたり、車道の渋滞が救急活動や消防活動を阻害する可能性があります。

首都直下地震や南海トラフ巨大地震等で、どの程度このような現象が発生し、その被害量がどれくらいかはわかりませんが、少なくとも人命に関する問題であることは確かです。例えば「メッカの大巡礼」も多数の巡礼者が一斉に聖地を訪れることで知られていますが、1990年、2015年と死者1000人を超すともいわれる群集事故が起きています。

なので、災害時にこのような状況を発生させないため、一斉に帰らない・迎えに行かないという対応が重要となるのです。私はこれを「移動のトリアージ」と呼称していますが、帰宅行動はいったん社会全体で抑えて、限りある道路空間を消防活動や救急活動に優先させよう、という考え方です。

「帰宅困難」と「帰宅するのが大変」は全く異なる

ここまで説明すれば、東日本大震災時あるいは先般の千葉県北西部を震源とする地震時の帰宅困難者問題は、首都直下地震時や南海トラフ巨大地震時などに発生する帰宅困難者問題と全く異なるものであることがお分かりいただけるでしょう。

2011年に発生した東日本大震災時も2021年10月7日の地震時も、東京の最大震度は5強でした。なので、家族を心配して一刻も早く帰ろうとした人はそれほど多くなかったと考えられます。また、そもそも当時はそこまで大きな物的被害がない中で「帰宅困難者が発生しただけ」にすぎませんでした。したがって、これは結果的に「命に関わる問題」にはなりませんでした。揶揄やゆする意図はないのですが、このような規模の災害時における帰宅困難者問題は「帰るのが大変だった問題」と見るべきでしょう。

しかしながら、震度6強を超える首都圏直下型地震や南海トラフ巨大地震が起きた場合など、物的被害が大きい中で帰宅困難者の大量発生は少なくない混乱と二次災害につながり、場合によっては「命に関わる問題」になる可能性もあります。東日本大震災をきっかけとして世の中に広まった帰宅困難者という言葉や概念ですが、東日本大震災のイメージに引きずられてしまいすぎると、その本質を見誤る危険性があるわけです。