たとえばレーニンの『国家と革命』から引用された次の文章は、まるまる太字のゴシック体で書かれている。

プロレタリアートの独裁は、ブルジョアジーにたいするプロレタリアートの支配であって、法律によって制限されず、暴力に立脚し、かつ被搾取勤労大衆の共鳴と支持とを得ているものである。
(『レーニン主義の基礎』スターリン著 大月書店 p.59)

たった一文ではあるが、相当なことを言っている。「プロレタリアートの独裁」とは、つまるところスターリンが率いる共産党の独裁を指している。これが法律によって制限されず、暴力に立脚するという。たとえば反乱分子が共産党の一存で粛清されることも、この一文は正当化してしまう。さらに、この独裁は大衆に支持されていることになっている。

しかしこうしたメッセージが太字で強調されていることによって、「きっとこれは大事なことに違いない」と、読者にすんなりと受け取られるようになっている。

カルト的ブラック企業との共通点

「大事なところはここにちゃんと太字で書いてある。だから他の本は一切読む必要はない。疑念を持たず、与えられた仕事に専念しろ。そうすれば君たちの生活は保障しよう——」。

これがレーニン主義(のちのマルクス・レーニン主義)の本質である。

レーニンの像
※写真はイメージです(写真=iStock.com/agustavop)

日本で生きる読者にとっては、大いに違和感があることだろう。「そんな国では人が離れていくのではないか」と感じる人もいるかもしれない。

しかし、そんな独裁体制で、70年も巨大国家を維持できたのがソ連である。

何も考えず指導者の価値観に染まりさえすれば、不自由を感じないどころか、それなりに幸せでいられるのである。自由な社会と比べると息苦しいが、ロボットのように扱われるわけでもない。組織に同化してしまっても、生活のなかには喜怒哀楽の物語もあるし競争もある。

全体主義がいとも簡単に人の価値観を染めてしまうことを、私たちはこの本から学ぶことができる。

これは何も共産主義国の話ではなく、日本の至るところでも再現されている。

最近も日本のある化粧品メーカーが、競合他社に対して公に人種差別発言を繰り返していた。それを取材したメディアに対しても暴言を吐く。従業員数は2000人以上、通販会員数は1500万人という大きな組織で、なぜそのような異常事態になっているのかといえば、レーニン主義的な経営をしているからだ。

外から見るとカルトのように思えるが、なかで働く従業員にとっては普通の感覚なのである。