官僚は内閣の下請け的存在
官僚の虚偽の答弁は、議員の場合と少し違ってきます。
各省庁の官僚組織は、あくまでもそのときの政権の内閣を補佐し、支えていく存在です。政策なり法案なり、内閣から示された案件を調査し、いかに進めるか、それとも無理ならばそう進言する役割を担っています。内閣のシンクタンクであり、下請けとも言える存在なのです。
どの議員も大臣も、すべてのことに精通しているわけではありませんから、各省庁の専門の官僚に相談し、意見を仰ぐのは当然のことといえます。しかし、国会での答弁書が官僚の手によって書かれている現在の状況は、いかがなことかと思われます。
国会の会期中、各省庁の官僚は、翌日の質問者に対して、「どんな質問をしますか」と聞いて回ります。これを「質問取り」といいます。自分の役所に関する質問があるとわかれば、その専門の部局が答弁を作成し、答弁者の大臣に届けられます。さらに説明が求められる場合には、当日の早朝、直接大臣に説明します。
あらかじめ質問の内容がわかり、それに答えるのが国会ならば、そもそも出来レースではないかという指摘もあります。しかし、すべての質問が、即座に答えられるほどの簡単な内容ではなく、事前に知らされていなければ、議事が進まなくなってしまいます。
ですが、だからといって官僚が答弁を書くというのは、本来おかしなことです。EU離脱だけを掲げて選ばれたイギリスの首相でさえ、原稿をそのまま読むようなことはしていません。野党の激しい追及にも、官僚のメモもなく、丁々発止のやりとりをしています。
日本では、官僚が書いた答弁をそのまま読むのが慣例となり、勉強もしていない無能な人物でも、大臣が務まるようなシステムになっているということです。
「権力の行使は抑制的でなければいけない」
内閣からの指示が法律に触れるようなことであれば、官僚も拒否できます。法律に違反していなくても、それが国や国民のためにならなければ、それを意見として述べるべきですし、そのような歴史があることも確かです。ただ、これは、内閣によって異なります。
第78代内閣総理大臣の宮澤喜一という人は、「総理大臣というのは絶大な権力を持っているんだ。それだけに、権力の行使においては抑制的でなければいけない」と言い、あまり権力を振り回すことなく、官僚の意見をなるべく尊重しようとしました。昭和最後の第74代内閣総理大臣の竹下登も「その問題は司司に任せます」と、官僚を持ち上げました。これはある意味、丸投げとも言えるのですが、官僚は自分たちが国を動かしているという責任を感じ、やる気を持って仕事にのぞめます。
ところが安倍晋三内閣や、その後継の菅義偉内閣は違っていました。そもそも自民党の総裁選挙で「自分の言うことを聞かなかった者は異動させます」と明言したわけですから、官僚は何も言えなくなってしまいますよね。事実、安倍政権下では、内閣に意見した官僚が何人もその役職を解かれています。