戦乱の時代といえば、つきものになるのが「謀略」の数々だ。

優勝劣敗のシビアな状況では、古今東西「卑怯といわれようと、やったもの勝ち」「勝てば官軍」という考え方がどうしても跋扈し始める。

では、「謀略」というのは、どうすれば成功させられるのだろう。また逆に、自分の方は引っかからないで済ませられるのだろうか。『戦国策』には、こんな故事がある。

魏王が楚の懐王に美人を送った。すると懐王は、その女にぞっこんとなった。

愛妾の鄭袖(ていしゅう)は、王の新入りへの寵愛を知ると、その女をたいそう可愛がった。衣服、寝具、室内の調度、身の回りの品々など、女の好みにあわせて作ってやった。その寵愛ぶりは、王を凌ぐほどだった。

王はそれを知ってこう言った。

「女性は色香をもって夫に仕えるもの。嫉妬心を持つのは当たり前だ。ところが鄭袖は、わしが新しい女に夢中になると、わしよりも可愛がってくれる。孝行息子が親に仕え、忠臣が君主に仕えるようではないか」

鄭袖は、自分は嫉妬していないと王に信じ込ませたと知るや、新入りの女にこう告げた。

「王はあなたの美しさにぞっこんです。しかし、あなたの鼻だけはお気に召さないようです。これから王の前に出るときは、必ずあなたの鼻を手で隠すようにしなさい」

新入りの女は、王の前に出ると鼻を手で隠した。

不思議に思った王は、鄭袖に尋ねた。

「あの新入りは、わしを見ると鼻を覆うが、一体なぜなのだ」
 「存じてはおりますが……」
 「遠慮はいらぬ、申してみなさい」

鄭袖は、こう答えた。

「王の臭いが嫌だそうです」
 「無礼な奴め」

王は、有無を言わさず、新入りの女を鼻切りの刑とした――。

この話で、謀略成功の大きな要因としてあげられるのが、懐王と新入りの女、両者からの信用を鄭袖が勝ち得た点だ。

そしてこの原理は、他の「謀略」一般にも等しく当てはまってくる。つまり、相手の疑いや不信、警戒といった「構え」をいかに解くかが「謀略」成功の鍵なのだ。どんな謀略上手でも針ネズミのように身構えた相手では、そう簡単に騙せない。

この点では、戦略や謀略を扱う他の古典においても、まったく同じ見識が示されている。

低姿勢に出て油断を誘う(卑にしてこれを驕らす)『孫子』
最初は処女のように振る舞って敵の油断をさそうことだ。そこを脱兎のごとき勢いで攻めたてれば、敵はどう頑張ったところで防ぎきることはできない(始めは処女の如くにして、敵人、戸を開き、後には脱兎のごとくして、敵、拒ぐに及ばず)『孫子』
笑顔の裏側に、刀を隠しておく(笑いの裏に刀を蔵す)『三十六計』

では逆に、どうすればこんな「謀略」に、自分の方は嵌らずに済むのだろう。

実はこの点で、楚の懐王はいいところまで行っていた。鄭袖の態度を見て、「女性は、ライバルの色香に嫉妬して当たり前なのに、鄭袖はそうではない」と語っているのだ。

つまり懐王も、鄭袖の態度が一般的なものではないし、人情の機微に逆らうものであることは重々理解していた。しかし問題はこの後だ。その不自然な態度を、自分にとって快いから問題なしとするのか、何かおかしいと裏を疑ってかかるのか……。

人というのは、物事の不自然さを、知らず知らずのうちに心に感じ取っていることが多い。しかし、それを疑問として自分の理性に乗せられるかが、後の結果を大きくわけてしまうのだ。