野党共闘すればいいというわけではない

さて、岸田新政権が発足して直後、各種の世論調査によると支持率はおおむね45~55%であり、低調な船出となった。しかし同時期に行われた政党支持率調査では、自民党43%に対し立憲7%(21年10月4~5日、NNNと読売新聞社の全国世論調査)、同じく自民党41.2%に対し立憲6.1%(21年10月8~10日、NHK)となっており、どう判断しても野党の支持率は低落している。

小選挙区下における戦術では、09年の民主党大勝の時がそうであったように、最低でも自民党支持率と野党の支持率が同程度でないと政権交代は起こりえない。野党の前途は依然として厳しい。

このような情勢の中、野党共闘という掛け声が盛んになってきている。小選挙区における自民と非自民の候補の競い合いでは、額面的に自民候補が議席を獲得するが、その内訳を見れば非自民票が多い場合が少なくないことから、比例はともかく小選挙区では野党候補を一本化すれば議席を取れる、というもくろみである。

投票のイメージ
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よって立憲民主党と日本共産党は野党共闘の道を模索するわけであるが、端的に言ってこの試みは怪しい。日本共産党と立憲民主党では、経済政策は近似しているが、天皇観、外交安全保障、憲法問題についてかなりの乖離かいりがある。国家観が最初から違う二者が連合するのは空中分解の予兆だ。

政党の思想信条の根幹が違うのであれば、無理をして共闘する必要はない。共闘しないと勝てないの実力であれば、最初からその支持基盤は微弱であり、いつでも自民党にひっくり返される。くり返すが、日本の政治風土は根が保守的にできているが故に、ただでさえリベラル政党に「デバフ」のかかる状況なのだ。数を合わせれば勝てる、という単純なものではない。

野党共闘を行えば必ず「野合」という批判が起こる

こう書くと、自民党は政治信条のまったく違う社会党と大連立を組み村山富市を首班指名したではないか――。また、自民党とは必ずしも政策が合致しない公明党と長らく連立を組んでいるではないか(だから野党共闘のどこが悪いのか)――という反論が返ってくる。

前者については緊急非常事態で、自民党がなりふり構わず社会党と連立を組んで村山内閣を作ったことで、一方的に評価が壊滅したのは社会党の側である。後者に関しては、そもそも公明党の支持基盤の多くが農村から大都市部に出てきた都市下層の労働者を主体としており、政治的には保守的な傾向が強く、実は矛盾していないのである。

高度成長は終わったので、社会階層のダイナミズムな躍動は無い。その中で野党共闘を行えば、必ず「野合」という批判が起こる。つまりは数合わせである、という糾弾である。もちろん、いかに糾弾されても「野合ではない」だけの合理的結束が野党側にあれば表面上は問題がない。しかし実際は違っている。