もっとも、一般的には自分の言葉だけで話をするというのは容易なことではない。田中は15歳で上京し、苦労に苦労を重ねて這い上がっていくなかで、人の心の移ろい、綾といったものを身に付けていった。聞いている人が胸を打たれるのは、そのあたりから来ている。

まず結論、理由は3つに

長話はやめろ。
考え抜いて、
結論から言え。

「話をしたいなら、まず結論を言え。理由は、三つに限定しろ。世の中、三つほどの理由をあげれば、大方の説明はつく」

田中角榮内閣総理大臣(第64代)
田中角榮内閣総理大臣(第64代)(写真=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

田中角栄は、日頃、接する若手議員や自らの秘書たちに、よくこう言い置いた。

田中は元々、せっかち、合理主義的な性分であった。また、常に多忙であり、頭の回転が早く、一を言えば十、いや二十くらいは悟ってしまう人物でもある。ダラダラした話など、とても聞いているヒマはないということである。

そのために、議員も秘書も、そうした“鉄則”を守らなければならなかった。そうしたやりとりのあと、直ちに返ってくるのが田中の代名詞とも言うべき「分かった」の一言だったということになる。

こうした「角栄派」は、手紙、電話においても同様で、例えば手紙の内容も極めて率直、簡潔、事務的である。拝啓、謹啓、敬具などは一切なし、が特徴である。

一、お申し越しの件、調査の結果、解決策は次の三案しかありません。
一、この三案の利害損得は、左の通りとなります。いずれを選ぶかは、貴殿のご自由であります。
一、何月何日までに、本件に関してのご返答をわずらわせたい。

ラブレターも率直、簡潔、事務的……

若い頃のラブレターの“中身”も、また同じであった。「何月何日何時。どこそこにて待ち合わせ。何時までは会える」と、じつにソッ気ないのである。

田中いわく、「愛してるだの、夜眠れないだのは、会ったときに言えばいいじゃないか」と、なんとも“合理的”このうえなかったのである。「我惟おもう、故に我在り」で知られるフランスの哲学者にして数学者だったデカルトも、「よく考え抜かれたことは、極めて明晰な表理をとる」と言っている。

田中における、意余ってということは、デカルト流に言えばよく考え抜かれているということになる。説明はするが、なかなか結論が見えてこないビジネスマンなども少なくない。要領を得ない話をして、交渉事がうまくいくはずはない。森羅万象、物事のポイントは、枝葉を取れば意外と簡明にできていることを知りたい。

長話は、誰もが嫌うことを知っておきたいということでもある。