理由ではなく「気持ち」を聞いてほしい
たとえば親から「ゲームで遊ぶ時間があったら勉強できるでしょ。どうしてやらないの?」と聞かれても、なぜ勉強よりゲームを優先させてしまうのか、具体的に説明できない。
「勉強よりゲームのほうがおもしろい」、「なんとなくゲームが好きだから」などと答えようものなら、「だからアンタはダメなのよ!」と重ねて叱責される。さらに「どうしてダメなのか、自分でちゃんとわかってるの?」とあらたな説明を求められ、ますます困ってしまう。
そんな子どもたちの声に接するうち、ある中学生が「気持ちを聞いてくれればいいのに」とぽつりと言った。自分がダメなのはなぜなのか理由の説明はできないが、ダメな自分に対して感じていることなら言いやすい。
たとえば何時間もSNSをつづけているときの「気持ち」なら、「楽しいときもあるけど、結構つらい」とか、「ほんとはちょっとむなしいなって感じてる」とか、そういう言葉なら話せるし、実のところその気持ちこそ親にわかってほしいという。
これには私もハッとした。言われてみれば確かにそうで、彼らが「自分の気持ちをわかってくれない親への怒り」を持つのはそもそも気持ちを聞かれる機会がないからだ。逆に親の気持ちを聞く機会もないから、ただ一方的に責められ、罵られているようで素直に耳を傾けられない。
「やめようと思ってもやめられなくて焦る」
「気持ちを聞いてくれればいいのに」という声に接して以降、私は取材で会う子どもたちに必ず気持ちを尋ねるようにした。
オンラインゲームに依存している子どもには、「何時間もゲームをやめられないときって、どんな気持ちなの?」、SNSでつながったどこの誰ともわからない相手を「心友」だと話す子どもには、「どういう気持ちがあって、知らない人と仲良くなったの?」と聞いてみる。
するとほとんどの子どもは自分の気持ちについて語ってくれる。「やめようと思ってもやめられなくてマジ焦る。自分でもヤバイなってかなり不安」とか、「リアルで友達できなくて寂しかったからSNSで探したけど、なんかモヤモヤする」とか、彼らなりの感情が吐き出されるのだ。