安月給でした。確か1万円あったかどうか……。そこから田舎に仕送りをし、残った分で生活をしていたわけです。やっとの思いで小遣いを捻出し、夕方になると、残業をしている社員に声をかけ、近くのうどん屋に出かけました。店内でテーブルを囲み、湯気の立つ麺をすすりながら、一人ひとりに向かって「いまやっている研究は、きっと成功するから、がんばってくれよ」と激励しました。その光景が、まるで昨日のことのように浮かんできます。

たいした娯楽もない時代でした。そこで軟式野球のボールを2つほど買ってきて、手製のグラブやミットをこしらえました。そうして「おいみんな、昼休みは飯を食ったら、グラウンドに行って野球をしよう!」と。高校時代の経験者もいるし、まったくの素人もいる。誰彼かまわず引っぱり出して、夢中でボールを追ったものです。

世間が見たら「あんなボロ会社で何が楽しいのか」と思ったかもしれません。しかし、みんながプレーに熱中し、しばし厳しい現実を忘れました。それによって、仲間が“ファミリー”としてまとまった気がします。私が仕事できつい指摘をしても聞いてくれました。

集団が機能し、成果を上げていくためには、めざすべき方向を明確にする必要があります。1つの目標に向かって、全員のベクトルを合わせるということです。方向を示すのが、経営理念や社是と呼ばれる規範。そしてそのベースには、根幹となる考え方、あるいは哲学が存在しなければなりません。

私はそれを“京セラフィロソフィ”と名付けました。経営や人生の局面において、壁に突き当たり、もがき苦しむときにそれが必要になります。そのつど「人間として正しいことを正しいままに追求する」ということをベースとして、物事を考えていく判断基準です。

京セラのリーダーたちは、この経営哲学に従って経営してきました。その繰り返しが、いつの間にか信じられないような成果をもたらしてくれました。京セラはグループ全体で、およそ6万人を抱える企業に成長したのです。

京セラ創業メンバーの1人は、残念ながらしばらく前に他界してしまいましたが、残る方たちは健在です。いまでも年に2、3回は集まって、酒を酌み交わしています。たまに国内旅行をして、温泉につかりながら、お互いに来し方を振り返るのです。

その1人は、相談役の伊藤謙介です。いつも彼と会うと「どうして、ここまで大きくなれたのだろうか……」と話し合います。また1人は現在、ロンドンに住んでいます。会合のたびごとに彼は「いやぁ、稲盛さん、本当に充実した人生を送れていますよ」といいます。

厳しいとき苦楽をともにした仲間は、一生の仲間となります。その仲間は、仕事だけでなく、人生を楽しくしてくれる仲間になるのです。