「最大500人」のはずが、運んだのは15人だけ
外務省は8月17日、ホームページで「在アフガニスタン日本国大使館は、現地の治安状況の急速な悪化を受けて、8月15日をもって一時閉館し、トルコのイスタンブールに臨時事務所を設置して当座の業務を継続しています。アフガニスタンに残っていた大使館の館員12名は、本17日、友好国の軍用機によりカブール国際空港から出国し、アラブ首長国連邦のドバイに退避しました」と発表。
8月20日になってから防衛省に自衛隊機の派遣を要請。8月23日、加藤勝信官房長官は「国際機関で働く邦人および日本大使館などで働くアフガニスタン人を運ぶために自衛隊機3機を派遣する」と発表した。
第1機がカブールに到着したのは25日夜。折衝の末、日本政府が準備した10台以上のバスが空港に向かったのが26日午後。そこで起きた自爆テロ以降、日本が世話になったアフガニスタン人が空港に接近することはできなくなり、結局、自衛隊機は、1人の共同通信の通信員と14人のアメリカ関係のアフガン人のみを移送し、「最大500人」を想定した最初の移送機は、9月3日に帰国したのである。
これほどの失敗を日本政府はどう立て直すのか
自衛隊法84条の4により、日本人のみならず現地人を移送する法的基盤があり、今回それが活用されたことは素晴らしいことかもしれない。しかし、世界の耳目がカブールからの現地人を含む大撤収にくぎ付けになっている8月中旬の時点で、日本政府はなぜ自衛隊機による撤収を実現しようとしなかったのか。筆者には回答が思いつかない。
もう一つ、解けない第2の疑問がある。日本政府のアフガニスタン政策はなぜ失敗したのか。2001年以来20年の間、日本政府もまた民主的アフガニスタンを作り上げるために、非常な努力を傾けてきた。昨年までのアフガン支援は総額約70億ドル、米国に次ぐ第2位の貢献度である。
2012年には日本が主催したアフガン復興支援国際会議を開催。昨年11月のジュネーヴでのアフガン復興支援国際会議では、茂木敏充外相は「2024年まで毎年少なくとも1.8億ドルの支援を続ける」と述べている。日本の巨額支援は水泡に帰した(8月29日付産経新聞、古森義久氏による論評)。これだけの失敗をした政策を日本政府はこれからどうやって立て直すのか。