アフガニスタンを知る男のミス

バイデン氏はアメリカの政治家の中では個人的にもアフガニスタン戦争にもっとも関与した政治家である。上院外交委員長の時にアフガニスタン戦争がはじまり、副大統領時代の8年、トランプ政権の4年を除けば、20年のうち16年はアフガン問題にかかわってきた。

20年の長きにわたってアメリカが撤退できない状況は、アフガン政権のふがいなさにあるとし、副大統領時代にはその責任者である当時のハーミド・カルザイ大統領と怒鳴り合いを繰り返したといわれている。

アフガン政府のふがいなさを知るバイデン氏にとっても、それでも今回のガニ政権やアフガン軍の脆さは想定外だった。バイデン政権はタリバンがカブールを取るのは米軍撤退から1年はかかるとみていたといわれている。

自らの責任で「米国史上最長の戦争」を終結させようとしたバイデン大統領としては、せめてもう少しガニ政権に踏みとどまってもらい、8月31日の撤退期限や、同時多発テロから20周年となる9月11日までタリバンの首都奪還や米軍や関係者を狙ったテロを防ぎたかった。アフガニスタンから平和的に撤退を進めようと考えていたバイデン政権の思惑は大きく外れた。

アメリカとタリバンの戦い
写真=iStock.com/sameer chogale
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用意周到だったタリバンの動き

タリバン側もケシ栽培で多額の資金を集めたといわれており、組織づくりも着々と進めてきた。過去20年間、米軍が民間人宅を含むタリバン夜襲を続けたが、これについてアフガンの一般人の不評を買い、アメリカ側に対する不信も高まっていたとされる。国家建設の中で「民主主義を植え付けよう」とするアメリカは常に「上から目線」だったはずだ。

これでは現地での有力な情報網も築くことができない。タリバン勢力の急伸を予見できなかったのも、やはりアメリカ側のインテリジェンスの問題に尽きる。ガニ政権の一部はタリバンとつながっていた可能性もあり、米軍のアフガン撤退情報を知り一気にアフガンの都市を攻めた。首都カブールに入る際には市街戦を避けたのも政権奪取後の周到な作戦の一環だった。

2001年にアフガニスタンに侵攻して以来、アメリカはアフガニスタンとパキスタンの両方での作戦を含む戦争に2兆2600億ドルを費やしてきたものの、アメリカの大きな予算を使ってもアフガン政府や政府軍を立て直せなかった。日本はJICAなどを通じてアフガニスタンの平和構築を行ってきたが、この努力も実らなかった。8月31日の予定を1日早めて30日に撤退完了させたのは、さらなるテロ情報がある中、これ以上の数の米軍の死傷者を防ぐ目的であろう。全くの敗走だ。ソ連やかつてのイギリスのようにこの地域に入り込むと内部対立などから常に足をすくわれる。「帝国の墓場」がアフガニスタンであるといわれるゆえんだ。