休める環境は整っているのに「学校を休めない」のはなぜか?
これとは別に、文科省方針や自治体の方針はすでに打ち出され、学校を休ませたい保護者ほどそのことを知っているにも関わらず、一斉休校を主張する人がいることも、私の興味を引き付けている事象です。
いくつかの仮説が考えられますが、学校に出席し、皆勤賞など休まないことを美徳としてきた大人世代の学校文化の影響が大きいと考えています。
たとえば保護者の場合には、以下のような考え方をしている人もいます。
・デルタ株感染予防のためには、自分の子どもは休ませたい。
・自分の子どもだけ休ませると、同級生やその保護者や知り合いから、子どもが悪く言われる、あるいは親の自分も「常識がない人」ではと思われる心配がある。学校の教員も子どものことをよく思わないのではないだろうか。
・そうならないためにも、自分以外の子どもも休ませるようにしたい。
・自分の子どもだけ休ませると、同級生やその保護者や知り合いから、子どもが悪く言われる、あるいは親の自分も「常識がない人」ではと思われる心配がある。学校の教員も子どものことをよく思わないのではないだろうか。
・そうならないためにも、自分以外の子どもも休ませるようにしたい。
「学校に行くのが当たり前」という同調圧力
学校にデルタ株が不安で、他の保護者に相談したり、教員に相談したときに、実際に「なぜ休ませるの?」「学校に来ないんですか?」など、冷たい反応を受けたことがある読者もおられるのではないでしょうか。
学校には行くのが当たり前という同調圧力が強い日本社会では、冷たい反応をした保護者や教員のほうが「常識がある人」で、デルタ株から子どもや家族を守るために学校を休ませる親のほうが「常識がない人」だと思われてしまうのではないか。
そうした同調圧力の中で「常識がない人」として孤立してしまう不安が、一斉休校を求める保護者の根底にあるのではないか、これが現時点での私の理解です。
具合が悪くても登校した児童生徒を皆勤賞としてたたえてしまうような学校生活を経験した保護者であったり、そのような学校を理想としてしまっている教員が作り出した学校文化と同調圧力は、「休みたい」と考える保護者や子どもを排除してしまう側面を持ちます。
デルタ株感染への不安を持ったり、積極的に感染予防するためにもステイホームするべきだと考える保護者や子ども・若者を苦しめている、こうした構造的課題に、私たちは改めて向き合うべきだと考えています。