今年3月にスリランカ人女性のウィシュマ・サンダマリさん(当時33)が名古屋入国管理局の施設で死亡した問題で、国は最終報告書を公表した。フォトジャーナリストの安田菜津紀さんは「施設内でのウィシュマさんの様子を写した約2週間分の映像はごく一部が遺族のみに開示されたのみで、真相の解明とは言えない内容だった。2007年以降、入管施設では17人が死亡し、そのうち5人は自殺だ。このままでいいはずがない」という――。
1人の留学生が収容され、亡くなるまで
「人間を人間として扱ってほしい」――この言葉を何度、ウィシュマさんのご遺族から耳にしただろう。そう誰かに言わせてしまう社会は、果たして望ましい社会だろうか。
3月6日、スリランカ出身のウィシュマ・サンダマリさん(当時33歳)が、名古屋出入国在留管理局(以下、名古屋入管)の収容施設で亡くなった。
ウィシュマさんは「日本の子どもたちに英語を教えたい」と夢見て来日後、学校に通えなくなり、在留資格を失って昨年8月から施設に収容されていた。
今年1月頃から体調を崩し、やがて自力で歩けないほど衰弱していく。嘔吐してしまうため、面会中もバケツを持っていたと面会を重ねていた支援団体などが指摘してきた。こうした状態に追い込まれても、点滴などの措置は最後まで受けられなかった。
国連から「国際法違反」の指摘を受ける日本の「入管」
そもそもこの「収容」とはどういった措置なのかということをまず振り返りたい。
例えば、仕事を失ってしまう、困難を抱えて学校に行けなくなってしまう、パートナーと離婚するなど、様々な生活の変化によって、日本国籍以外の人々は、日本に暮らすための在留資格を失ってしまうことがある。空港で難民申請をした人の中には、最初から在留資格がない人もいる。
「収容」とは本来、在留資格を失うなどの理由で、退去強制令書を受けた外国人が、国籍国に送還されるまでの「準備」としての措置という「建前」のはずだ。
ところが、収容や解放の判断に司法の介在がなく、期間も無期限で、何年もの間、施設に閉じ込められたまま、いつ出られるのかも定かではない人たちもいる。
昨年、国連人権理事会の「恣意的拘禁作業部会」が、こうした実態を「国際法違反」と指摘した。それ以前から、国連の「拷問禁止委員会」などの条約機関からも度々勧告を受けてきている。