「自分のやったことは忘れ自分は正義」と開き直る人々

あんな人達をかばうなんて、という「否」の意見の方で心に刺さったのは、こんな意見です。

「自分にも後ろめたいこと、自分にも暴かれて困ることがあるからだろう」

はい、大いにあります。

けれど開き直り気味に反論すれば、自分が悪いことをしたという心当たりがあって、それを後ろめたいと感じているだけまだましというか、それこそ反省や更生の余地がありますよ。

徹底的に自分のやったことは忘れる、そもそも悪いことをしたと思ってない、とことん自分のことは棚に上げ、他人を非難できる人もいるのです。なんならその人達は自分を正義の人、何一つ間違ってない生き方をしていると、私以上に開き直っていたりします。

残念ながら、「なんでもいいから悪者をやっつけてスカッとしたい」「お手軽に安全地帯から正義の味方になりたい」という一派がいるのも事実です。あるいは、「自分自身と向き合いたくないから他人を攻撃し、自分から目を逸らす」というのもいます。

完全に台本ありきで、わがままな女の子を懸命に演じた真面目な頑張り屋の女子プロレスラーが、すべてを素の彼女だと本気にした視聴者の一部に激しく攻撃され、自死に追い込まれる痛ましい事件がありました。あれなども、攻撃する側は完全にそれでしたね。

箱の中に隠れて必死の怖がっている実業家
写真=iStock.com/SIphotography
※写真はイメージです

一部の人達が、今回のオリンピック開幕式の辞退者に対してもそうなっているのを見れば、彼女の死をもっと教訓としなければならないと胸が痛みました。

私が過去に犯してしまった愚行の告白

正直、それ以上に、自分の脛の傷が痛んだことも書いておかなければなりません。

私は脛に傷どころか、傷の上に脛が貼り付いている状態であり、叩けば埃が出るどころか、埃が人の皮をかぶっている生き物です。

だいたいの発言が失言暴言で、顰蹙を買う行動しかしていないといわれても言い返せません。