「工場で働くのは尊い」と教えたイギリス

ヨーロッパに視点を移し、少し時代を戻しましょう。19世紀前半のヨーロッパでは、貴族制度がまだ残っていました。古い貴族が全ての土地を所有し、労働者階級に労働を課していました。人権意識がない時代です。労働者階級は選挙権も与えられず、多くは読み書きもできませんでした。

1838年頃から、イギリスでは普通選挙権を求めてチャーティスト運動が起こります。この運動の中で、労働者たちは、彼らの子どもに学校教育を受けさせよという要求をつきつけます。その運動は大きなうねりとなるのですが、当時の資本家たちは、労働者に教育を与えると、自分たちが厳しく搾取されていることに気づいてしまうという理由で拒否していました。しかし、やがて産業革命が進むうちに労働の形態が変化し、労働者たちも読み書きができないと仕事に支障が出るようになっていきました。

労働者にも読み書き能力が必要であるという認識が広まり、「イングランド1870年小学校教育法」が導入され、5歳から11歳までの6年間の義務教育が始まります。読み書きを教えるかわりに、「イギリスの社会では工場で働くのは尊いことだ」という道徳を教育しました。

それ以前からイギリスの貴族の子どもたちは、「パブリックスクール」に通い、オクスフォードやケンブリッジ大学に進学できたのですが、労働者階級の子どもたちが中学校に通えるようになったのは、1944年のバトラー法以降です。

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写真=iStock.com/NSA Digital Archive
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日本の教育はどこで失敗したのか

日本が義務教育制度をつくったのは意外と早く、イギリスに続いてわずか2年後の1872年のことです。日本もイギリスに似たようなもので、読み書きとともに、明治憲法ができてからは「国民は命をかけて天皇を助けることが人間としての誇りである」と子どもたちに説きました。

一方で、日本はヨーロッパの多くの国と異なり、庶民にも優れた人材はいるはずだと、成績さえよければ中学校・高等学校に行ける制度を整えました。

「勉強を頑張れば身分をこえて好きな職業につけるかもしれない」

そこに希望を見出した庶民は多かったかもしれません。日本の教育は早くから「競争」を一つの原理にしながら、国家に有為な人材を育てることに特化していきました。そういう意味では競争システムとしてうまく成り立たせたのが日本の特徴です。「末は博士か大臣か」ということは世界では珍しかったのです。