政府の言動の矛盾で国民の不満が爆発した

すでに多くの識者の指摘もあるが、政府の言動の矛盾がその最たるものと言えるだろう。緊急事態宣言を出し不要不急の外出をするなと国民の行動制限をしておきながら、国内外から多くの人を呼び込み、あげくに五輪関係者の行動制限は形ばかりのものとしていた。飲食店での酒類提供を制限させておきながら、競技会場の中ではアルコールを提供しようとしていた。これらの「五輪は特別」というメッセージは少なからぬ人たちに「五輪がよくて、なぜ私たちは我慢しなければならないのか」という気持ちを芽生えさせた。

じっさい五輪のために作られた7月22日からの4連休、都内の人出は緊急事態宣言がなかった去年7月の連休よりも大幅に増加した。これは国民の我慢の限界が、政府の矛盾に満ちたメッセージによって爆発したものと言えるだろう。

これらについて「政府は誤ったメッセージを出してしまった」と批判する声があるが、私の見方は少し違う。政府が感染拡大を真剣に制御しようとしていたにもかかわらず、その本心と異なったメッセージを出してしまったならその通りだが、これまで政府が国民に示し続けてきた言動は、それとはまったく異なる。私に言わせれば、これらは「誤ったメッセージ」ではなく「感染制御よりなにより五輪開催が最優先である」との政府の「本心からのメッセージ」だ。

「熱中症」の観点からも五輪開催には疑問が残っていた

実は私はコロナ禍以前から東京五輪開催には反対だった。理由は猛暑だ。詳細については2019年に上梓した拙著『病気は社会が引き起こす インフルエンザ大流行のワケ』(角川新書)で論じているが、新型コロナの流行がなくとも真夏の東京でのスポーツイベントはあまりにも危険だ。そもそも開催してはならないのだ。すでに熱中症による被害者が五輪選手に出始めているが、被害者は選手にとどまらない。

“猛暑下でも五輪開催できる”という誤ったメッセージによって、子どもたちも危険にさらされるのだ。今は夏休みのはずだが、通勤電車にはあきらかに運動部員とみられる生徒たちが大きなスポーツバッグを背負って乗ってくる。

本来、熱中症の危険がある状況での屋外運動は禁止だ。しかし五輪が開催されてしまっている現状では、行政としても猛暑の危険を大々的にアナウンスできない。「五輪はできるのに、なぜ部活はダメなのか」いや「部活が危険なら、五輪も危険ではないのか」という声が高まれば、せっかくの五輪フィーバーに水を差すことになってしまうからだ。

猛暑による危険を国として認めてしまえば「晴れる日が多く、かつ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」との虚偽を用いて招致したことを改めて全世界に知らしめてしまうことにもなる。