名前を書いたら、その人が死亡
本来なら人を救済するべき僧侶が、その死を念じて呪詛を行う。しかも、その効果が表れるや、得意満面。宗教者にあるまじき所業というほかないが、これは醍醐寺に限ったことではない。大和国一国を支配した奈良の巨大寺院、興福寺では、それがさらに頻繁に行われていた。
文明18年(1486)3月、仲川荘(現在の奈良市)という荘園の年貢を、地元の武士である箸尾為国という男が横領してしまっていた。この年貢は荘園領主である興福寺に納められ、本来、唯識講という仏事の費用に充てられる重要な資金源だった。それを横領されてしまうと、もちろん仏事が開催できなくなってしまう。とはいえ、箸尾は強硬で、年貢を納入させることは難しそうだ。
そこで興福寺の僧侶たちは「名を籠める」という、これまた“最終兵器”を使う決断をした。「名を籠める」とは、寺に反抗的な人物の名前を紙片に記して、寺内の堂に納めて、その人物を呪詛する、という禍々しい制裁であった。他のケースでの「名を籠め」たときの文書が残っているので、参考までに掲げると、それは下のような感じの紙片であったらしい。
山田太郎次郎綱近
文亀二年戌壬十二月二十三日
罪状と名前と日付という、きわめてシンプルな記載だが、この紙片を包み紙にくるんで、表に「執金剛神/怨敵の輩 山田太郎次郎綱近」と書いて、仏前に捧げて、ひたすらその身に災厄が降りかかることを祈るのである。
室町時代に実在した“デスノート”
このときも「箸尾為国」の名前は、興福寺の五社七堂に籠められ、寺僧たちは南円堂に群集して、大勢で読経して彼を呪った。しかし、この時点では、彼はまったく悪びれた様子は見せず、むしろ居直って寺の悪口まで吐く始末だった。
すると、どうだろう。翌4月になって、箸尾の支配する村で「悪病」が流行し、130人もの人々が続々と死んでいったのである。そのうえ、箸尾の手下だった村の代官も、妻女とともに病に伏せってしまったという。箸尾自身は死ななかったようだが、ここでも「名を籠める」ことの効果は疑いなかった。
「名前を書いたら、その人が死ぬ」といえば、私などはどうしても人気マンガ『DEATHNOTE/デスノート』(大場つぐみ・小畑健、集英社)を思い出してしまう。名前を書かれた人を死なせることができる死神のノート(デスノート)を手に入れた主人公が、犯罪者を抹殺して理想世界を築こうと暴走してしまう物語である。