その基準に則れば、罪を自白している被告人は、無罪推定の権利を放棄しているのですから、保釈を認める必要はありません。逆に、無罪を主張している(否認している)被告人には、保釈を認めなければならないはずです。

実際、英米では有罪を自認した被告人には保釈は認められません。裁判官の前で「無罪」と答弁した人だけが保釈されます。

ところが、現在の日本では、全く逆の運用になっています。罪を自白した被告人は容易に保釈が認められ、否認している被告人はなかなか保釈が認められず、身柄拘束がいつまでも続くのです。

新宿の交番前に停車するパトカー(2019年8月8日)
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保釈は権利ではなく“例外”として扱われている

保釈は「権利」であり「原則」だと言いましたが、法律はいくつかの「例外」を定めています。

もっとも頻繁に利用されるのが、「被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき」(刑事訴訟法89条4号)という例外です。これは、先に説明した勾留の理由の一つと同じです。

繰り返しですが、事実を否認している被疑者は「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」があると判断されて勾留されるのです。保釈の場面でも、裁判官は全く同じ発想をします。

否認している被告人はほぼ例外なく、「事件関係者や共犯者(と疑われている人)と口裏を合わせる可能性がある」と言われ、罪証を隠滅する相当な理由があると判断されて、権利としての保釈を否定されます。否認している被告人に保釈が認められるのは、いわゆる「裁量保釈」だけです。

裁量保釈というのは、権利としての保釈は認められないけれども、「罪証を隠滅するおそれの程度」が低く、「身体の拘束の継続により被告人が受ける健康上、経済上、社会生活上又は防御の準備上の不利益の程度その他の事情を考慮し、適当と認めるとき」に、裁判官が職権で保釈を許すことができるという規定(刑事訴訟法90条)に基づいて保釈が認められることです。

要するに、無罪を主張する被告人にとって保釈は権利ではなく、特別の事情があるときに限って例外として保釈が認められるというのが現在の日本の実務です。