レシピ動画チャンネルは群雄割拠の状態だが…
登録者数が跳ね上がった当時は感染拡大防止のため、外出自粛が呼びかけられていた最中。自宅で菓子作りを楽しむ機会が増えたことを背景に、スーパーの製菓材料が品薄状態になっていることが報じられていた。石川氏のレシピ動画の1日あたりの再生回数も1万回を超え、質問や感想を寄せる視聴者の投稿が続々と入った。大阪市内にある自宅兼アトリエで細々と続けてきた“YouTuber業”が、にわかに活気づいた。
スイーツづくりをテーマにした動画チャンネルは群雄割拠の状態で、レシピ本が登場するような人気チャンネルも多数存在する。登録者数が現在14万人という石川氏のチャンネルが突出して人気というわけではない。だが店舗を持たず、ネット空間を主な活動拠点にするフリーのパティシエが突如、「グランシェフ」を冠して百貨店出店をかなえたとなれば、話は別だ。
「心臓を握りつぶされるような痛み」が襲う
フリーの活動の一環としてYouTubeを始めたのは、43歳で狭心症を患ったことがきっかけだった。
神戸のマカロン専門店でシェフパティシエを務めていた17年6月、仕事中の厨房で初めて心臓の発作を起こし救急車で搬送、そのわずか3カ月後にも再び痛みが襲った。
「心臓に手を突っ込まれて握り潰されるような激しい痛み。半年はほぼ寝たきりの状態で、ようやく外出できるようになったのはさらに半年後でした。社長は何年かかってもいいから戻ってきてほしいと言ってくれたけど、手術ができない病状で、もう同じような現場に戻れる体ではなくなってしまった」
凝り性で、好きなことには時間を忘れて打ち込むタイプ。仕込みから調理、次期イベントに向けた商品開発など、毎日が体力勝負の現場に没頭した。根を詰めて働く日々は下積み時代からの習慣になっていた。
ニューオータニや専門店で実績を積む
高校生のころ、テレビ番組でみた飴細工職人の技に魅せられて、洋菓子職人の道へ進んだ。専門学校を経てホテルニューオータニ大阪、赤坂にも勤務した。初日から、「発言していいのは『はい』か『すみません』の二言だけだ」と言われるような職人気質な世界。華やかなイメージとは正反対に、厳しい修行の日々に追い込まれた。
それでも、8年半のホテル勤務から得ることは多かった。洗い場や仕込みなど基本業務を反復しながら、宴会サービスやラウンジ、ウェディングやレストランなど、さまざまなシーンで求められるデザートづくりをひたすらに習得。その後、製菓学校の講師や、スフレチーズケーキの専門店、老舗コーヒーショップ、マカロン専門店などさまざまな現場でシェフとして経験を積んだ。