いずれにしろ、権力監視を旨とする報道機関が国家プロジェクトである東京五輪のスポンサーになるという「ルビコン川」を渡る決断は、渡辺社長ら社会部出身者が牛耳る経営陣主導で進められたことは間違いない。その後、渡辺社長らはスポンサーとして五輪機運を盛り上げる記事を量産するための取材体制を社会部やスポーツ部を中心に整備した。

いったん取材体制が整うと、そこに配属された「エリート記者」たちは業務遂行に躍起になる。五輪担当記者たちは批判精神を失い、ついには五輪開催中止を訴える社説に抗議するに至るまで、社内のジャーナリズムは荒廃の一途をたどったのである。

「五輪中止社説」批判にただよう派閥闘争の影

渡辺社長が今年4月、経営悪化の責任をとって辞任した後を継いだのは、政治部出身の中村史郎氏である。渡辺氏は中村氏と長い親交があるわけではない。それでも中村氏を後継指名したのは、自らを社長に強く推薦した政治部出身の持田常務らの意向を踏まえたものであろう。

渡辺氏は一方で、中村氏ら政治部に主導権を奪われないように布石を打った。東京社会部出身の角田克氏を編集担当取締役(編担)に起用したのである。

角田氏は中村社長の三期下。「ポスト中村」を狙う立場だ。経営再建を担う政治部出身の中村社長に対し、社会部出身の角田氏を次期社長の最有力候補として新聞編集を仕切る編担に配置して、社会部の影響力維持を画策した人事といえるだろう。

この角田編担のもとで社会部やスポーツ部を中心に「東京五輪を盛り上げる報道」は続けられてきた。五輪中止を掲げる社説に社会部出身の角田編担の配下にある編集局から抗議の声があがったのは、こうした社内人事が背景にある。

社説の責任者である根本清樹・論説主幹は、政治部出身者である。中村社長より4期上の先輩だ。関係者によると、社説掲載にあたり根本氏は中村社長の了解はとったという。一方、角田編担へはざっくりとした根回しだったようだ。ここでも「政治部対社会部」の派閥闘争の影がただよう。

2012年6月2日、都庁に掲げられたTOKYO2020の幕
写真=iStock.com/winhorse
※写真はイメージです

「東京五輪開催ありき」社説掲載前夜の内幕

社説掲載前日の5月25日になって社説のゲラが出回り、編集局は騒然となった。午後7時20分からのデスク会(当日組みの紙面を検討する会議)の様子が複数の記者から私のもとへ寄せられたので、それをもとに当日の議論を振り返りたい。

デスク会は冒頭から社説批判一色になった。「取材現場への影響を考えているのか」「スポンサーは降りるのかと読者に聞かれたらどう答えるのか」などと批判が続出。「(五輪を盛り上げる)今日の社会面と整合性はとれるのか」「今日載せる必要はあるのか。差し替えるべきだ」などと、社説掲載の見送りを求める声まで飛び出した。

紙面の責任者である坂尻信義ゼネラルエディター(GE)は「みなさんの意見はよくわかる。論説主幹に伝えるべきことは伝えた」と釈明。論説委員室から参加した小陳勇一論説副主幹は「論説で議論を重ねてきた。遅きに失した面もあるが、ようやくまとまった社説だ」と説明した。