「編集局内部の自己規制」記者たちが掲載見送りを主張

社長ら経営陣が社説を執筆する論説委員室に「上からの圧力」を加えたのではない。かつて社長を突き上げて辞任に追い込んだ編集局が、今度は五輪中止を訴える社説に猛抗議し、その日の掲載の見送りを迫ったのである。

社説にさえ抗議するのだから、東京五輪開催に批判的な記事が編集局内部から発信されないことは当然であろう。

私は5月31日をもって27年間勤めた朝日新聞を退社し、フリーとして独立した。国家権力を監視する批判精神を失い、「客観中立」を装った「両論併記」の差し障りのない記事を大量生産して安穏としている社内の空気に失望したからである。

いま朝日新聞の編集現場で起きていることは「国家権力からの圧力」や「経営陣からの圧力」による萎縮ではない。「編集局内部の自己規制」である。私の退社間際に勃発した「社説問題」はその実態を可視化した。それは自らの決断は正しかったという確信を私に与えた。

社長による掲載拒否を覆した朝日新聞記者たちが、たった7年のあいだに、東京五輪中止を訴える社説の掲載見送りを主張するにまで変わり果てたのは、いったい何故なのか。朝日新聞がジャーナリズムの立場を捨ててまで五輪スポンサーになり、大会開催に固執しているのだろうか。「東京五輪と朝日新聞」の歩みを振り返り、検証したい。

「1業種1社」の掟破り…全国紙4社が相乗りでスポンサーに

池上コラム掲載拒否で矢面に立った木村伊量社長が緊急記者会見を開いて引責辞任を表明したのは2014年9月11日である。木村社長と当時ナンバー2だった持田周三常務が後継社長に指名したのが取締役の渡辺雅隆氏だった。

朝日新聞社長は長らく政治部と経済部の出身者がたらい回しにしてきた。木村社長と持田常務も政治部出身である。これに対し、渡辺氏は大阪社会部出身の「傍流」で、社長レースの「本命」ではなかった。木村社長が渡辺氏への禅譲を決めたのは自らの「院政」を画策したからだ。

ところが、渡辺氏は社長に就任すると木村前社長を遠ざけ、自らと入社同期の社会部出身者で経営中枢を固めた。東京社会部出身で大阪朝日放送へ出向していた梅田正行氏を常務として呼び戻すとともに、木村社長の社長室長として池上コラム掲載拒否問題などの責任を問われ降格されていた東京社会部出身の福地献一氏を復権させ、東京五輪担当の取締役に起用した。

渡辺社長は就任直後から東京五輪スポンサーになることを目指した。東京五輪組織委員会会長の森喜朗元首相ら要人とも非公式に接触し、東京五輪のビジネスパートナーとしての足場を固めていった。ついに2016年1月には読売新聞、日経新聞、毎日新聞とともに東京五輪組織委員会と「東京2020スポンサーシップ契約」を締結したのである。