小さな不自由さえ我慢できれば問題ない
とはいえ、自宅で、おひとりで療養生活をつづけていくためには、ある程度の不自由があるのは覚悟していただかなければなりません。
たとえば、病院や施設のように、ナースコールを押したら、すぐに誰かが来てくれるわけではないので、おむつがぬれて気になっても、つぎの介護士が来るまで待つ必要があります。「何かものを取りたい」「背中のシーツのずれを直したい」といったちょっとしたことに対して、すぐの対応は難しくなります。ですから日常生活でのこうした小さな不自由さがイヤだという人は、在宅ではつらくなってしまうかもしれません。
逆に、そうした不自由さはまったく気にならず、やっぱり住み慣れた家がどこよりも安心で心地いい、という人には在宅はもってこいです。病院では基本的には病院食しか食べられませんし、テレビもイヤホンですし、就寝時間や面会時間も決められていますから、なかなか自由を叶えることは難しいでしょう。
自分の食べたいものを食べたり、寝たり起きたりする時間も自由、会いたい人に時間を気にせず会ったり、大音量でテレビを観たり音楽を聴いたりできる自由が、在宅では叶います。この自由さが、在宅ならではのメリットです。
病院や施設にいても、ご家族が同居していたとしても、患者さんご本人のタイミングに100%合わせてもらえるとは限らないのも現実です。また、在宅のデメリットもできる限り最小にするべく、枕元の手の届くところに必要なものをすべてそろえるなどして、自分だけのコックピットをつくってしまうというのもありです。少しの不自由さを受け入れられれば、おひとり暮らしでも十分療養生活は可能です。
口出ししないのも立派な決断
おひとり暮らしでも最期まで過ごせるようなサービスは整っていますから「おひとりさまだから、こうした方がいい」というものはありません。十分にある選択肢の中から、自分の価値観に照らし合わせて、「自分らしい」過ごし方を選ぶことができます。
ですが、せっかく、おひとり暮らしで、自宅で最期まで過ごすことを決めても、ご家族やまわりの方々の理解が得られないと、その希望を叶えることがむずかしいことがあります。ご家族がどうしても心配で「無理でしょう」と判断してしまうために、ご本人の意に反して、病院や施設に入ることになってしまうこともあるのです。ご本人が「ひとりがいい」と言うなら、ご家族としては「もうあれこれ口を出さずに支えよう」と腹をくくるのも、ひとつの立派な決断だと思います。
おひとりさまの在宅死を叶えるためには、その事実をもっと多くの人に知ってもらうことが、いちばんの近道なのではないかと思っています。