昨年12月に亡くなった作詩家のなかにし礼さんは、昭和を代表する数々の歌謡曲を残した。なかにしさんの音楽のルーツはどこにあるのか。遺作となった『愛は魂の奇蹟的行為である』(毎日新聞出版)からお届けする――。

※本稿は、なかにし礼『愛は魂の奇蹟的行為である』(毎日新聞出版)の一部を再編集したものです。

なかにしさん
写真提供=中西康夫さん
ゆかりの地である小樽を、生前最後に訪れた際のなかにし礼さん

ソウル・ミュージックをたどる

人には誰でもソウル・ミュージック(魂の音楽)というものがあるだろう。むろん私にもある。そんな話をしたい。

昭和十三(一九三八)年九月に私は旧満洲(現・中国東北部)の牡丹江ぼたんこう市に生まれたのだが、その時の状況はもちろんのこと、その後の二、三年についてはなんの記憶もない。生後百日目に撮られた自分の写真を見て、ははん、こんな顔をしていたのかと思うのが精一杯であり、二歳の頃、写真館で撮った写真を見て、なんとなく今の自分につながる雰囲気はあるなと素直に思うだけだ。その写真から漂ってくる雰囲気から類推するに、その頃のわが家は事業に成功したいわゆる金持ちだったらしい。

十九世紀フランスの政治家で『美味礼讃』を著した食通でも知られるブリア・サヴァランの説をかいつまんで言うと、「瀕死ひんし者は、記憶を失い、言葉を失い、うわ言を言い、やがて感覚が失われていく。しかし感覚は順序よく正しく消えていく。嗅覚がなくなり、味わわなくなり、見えなくなる。だが、耳はまだ音を感じる。それゆえに古代の人々はほんとうに死んでしまったかどうかを確かめるために、死者の耳もとで大きな声で叫ぶのを習慣としたのであろう。聞こえなくなったあとでも触覚は残る」(岩波文庫)。

ということは、失われていく感覚を逆にたどっていけば、人間が感覚を手に入れていく順番になるということだろう。科学的根拠はないが……つまり、最初に「触覚」が覚醒するということだ。