人間的な楽しみを犠牲にすれば、感染症患者は減る

インフルエンザは薬もワクチンもあるのに、死者数は関連死を含めて毎年1万人にのぼる(2021年1月17日公開記事「 『コロナ死4000人vs.肺炎死10万人』という数字をどう読むべきか」を参照のこと)。

医師はみな、コロナはその程度の病気だとわかっているはずなのに、誰も言わない。コロナが重症化し死亡するのは、高齢者と基礎疾患のある人。これもデータで明らかだ。インフルエンザでも肺炎でもこれは同じ。今シーズンはインフルエンザが激減し、肺炎で毎年約10万死んでいたのが1万人以上も減っている(編集部註:厚生労働省速報、肺炎死者数は2019年9万5498人から2020年は1万2000人減)

センター街の牛繁に掲示されたポスター
撮影=プレジデントオンライン編集部

要するに、人間的な楽しみを犠牲にすればインフルエンザも肺炎も減ることがわかった。コロナが出るまでは肺炎で10万人死のうがインフルエンザで1万人死のうが、市民生活を犠牲にしようという話にならなかった。

ところがコロナ対策では市民生活を犠牲にすることが当たり前になった。

ここまで国民に我慢を強いれば、あらゆる感染症患者の数は減るに決まっている。これが当たり前であれば、コロナが終息した後はインフルエンザや肺炎を減らすために国民に我慢を強いる生活をずっと続けるのだろうか。

日本は「高齢者が多い国としての対応」をしていない

スウェーデンは集団免疫を目指し、あまり市民生活に制限をかけない方針をとった。失敗したと言う人もいるが、死者数をみるとそれほどでもない(4月23日時点、人口1023万人に対し死者数1万3923人)。

フィンランドは逆に非常に短期間、ロックダウンを徹底的にやって感染者を抑えた(4月25日現在、人口552万人に対し死者数903人)。

この北欧2カ国には共通点があって、人口に占める高齢者の割合が高い。だから両国とも、高齢者の足腰が弱ってしまっては福祉財政に莫大な悪影響を及ぼすという発想から対策を練った。スウェーデンは外出自粛を要請せず、フィンランドは逆に短期間に収束させるという政策をとったわけだ。

そして日本は両国を上回る、世界一の高齢社会だ(65歳以上人口の割合を示す高齢化率は、スウェーデン20.2%、フィンランド21.4%に比し、日本は28%。2019年世界銀行調べ)。高齢者が多い国なら高齢者が多い国としての対応をするのが為政者の務めであるはずだ。しかし今回、3度目の緊急事態宣言での内容を見ても、そうした発想で対策が考えられているとは到底思えない。