自己犠牲は美しくない、しょせん無駄骨だ
人は、人のために生きているのではない。やりたいことをやり尽くすために生きていることを、忘れてはならない。
人のために尽くすのがやりたいことだと言うなら、それはそれで結構だろう。しかしそれが目的になった途端、自己犠牲などという表現で美化されてしまう。
絶対に美しくなんかない。自己犠牲は、しょせん無駄骨だ。
組織に依存を続けていると、「みんなのため」という自己犠牲が正義を持ち、個人の意思や意見が押し潰され、成長が阻害されることに鈍感になってしまう。
ポジティブな結束感があったとしても、僕はそんな環境を肯定できない。
リスクを取り、結束感の幻想から解放されよう!
組織には、もう依存できる信頼度はない。
何をしたいのか、どこに行きたいのか、何が好きなのか。絶対に人に譲れない、自分だけのルールは何だったのか。己に深く問い続け、つかんだ答えを大胆に実践していくことで、人生は真に豊かになっていくと信じている。
「家を買えば安心、いい保険に入れば安心」は誤解
組織が信頼できるものでなくなったのは、働き手にとってチャンスだ。身の丈に合った仕事と収入を、自分の思考と意思で探し出せる好機を得られたと考えよう。
そもそも、安心を得るという考え方を捨てるべきだ。
「家を買えば安心」「いい保険に入れば安心」という常識も根強く残っているが、リテラシー不足による誤解に過ぎない。移動の制限にとらわれる持ち家や、他人の掛け金に乗っかるギャンブルの生命保険なんかに、絶対にお金を使ってはダメだ。
安心を積み上げるより、やりたいことをたくさんやろう! その方が、組織や家や保険に縛られているより、頼りになる成果を得られるはずだ。