JOCはIOCの意向もあり、各NF(競技団体)に選手の声をくみ上げるアスリート委員会の設置を義務付けている。
しかし、コロナ禍での五輪の在り方はどうあるべきか、アンケートを取るなどの行為は一度もしていない。上意下達であり続けることに現役選手が不信を隠さず、声をあげるのは必然である。世界的にも火のついた世論は収まらなかった。
機能不全の「報」……追認するだけの報道機関
森氏がIOCからダメを出されるという事態に陥って、次に起きたのが、その森氏による日本サッカー協会元会長・川淵三郎氏への「後継指名」だった。それも唐突に2月11日にメディアによって発表された。
ガバナンス以前の社会通念から見ても、問題を起こして辞任する人が正当なプロセスを吹っ飛ばして後継指名するなど、言語道断である。スポーツ界の常識は社会の非常識になる。ところが、これを伝える報道は、あたかも決まったかのような論調だった。
スポーツ紙に至っては、川淵氏の自宅前での囲み取材から「森氏が涙を流すのを見た川淵氏がもらい泣きして引き受けた」と、まるで義理人情の美談として扱う有り様だった。記事で読む限り、この囲み取材の中で「こんな後継者の決め方で良いのですか?」と聞いた記者がひとりもいなかったとしか思えない。
私にはデジャブが2つある。一つは06年、日本サッカー協会会長だった川淵氏が、惨敗したW杯ドイツ大会直後の記者会見で「あ、オシムって言っちゃったね」と口を滑らせるかたちで次期代表監督候補の名前を出してしまったときのことである。
この会見は、黄金世代を擁しながら2敗1分グループリーグ敗退という結果を招いた責任、技術委員会が別の人物を推薦したにも関わらずジーコ氏を監督に任命した責任を追及するはずのものだった。しかし、川淵氏の発言で空気が一変。翌日の各紙にはすべて「次期代表監督にオシム」という見出しが躍った。
このときも「会長、今はその話ではないでしょう」と疑義を呈する記者はいなかった。
あっと言う間に既成事実化された後任人事
私がたまさかその半年前にオシム氏に関する著作を出版していたことから、直後からメディアに頻繁にコメントを求められたが、「良かったですね。川淵会長は木村さんの『オシムの言葉』を読んで次期監督に選んだと言っていましたよ」と伝えてくる記者がほとんどだった。ああ、スポーツライターは舐められているのだ、と憤怒に駆られた。
「会長はお目が高い」と言うとでも思ったのだろうか。ここで起きたのは、代表監督選考と要請のプロセスを経ずしてのモラルハザードである。以降私は、オシム氏についてのコメントは出すが、それは川淵会長のこの横紙破りに対する批判と必ずセットにして欲しいと伝えて対応した。それでもオシム氏の代表監督就任はあっと言う間に既成事実化されてしまった。当時と同じではないか。
もうひとつは我那覇和樹選手(現福井ユナイテッド)のドーピング冤罪事件におけるミスリードである。詳細は、『07年我那覇和樹を襲った冤罪事件。「言わないと一生後悔する」』(sportiva、2019年02月08日) を参照していただきたい。
川淵氏はこのときも、事実確認前にもかかわらずスポーツ紙に対し、我那覇選手の懲罰処分の内容にまで言及するという極めて軽率な発言をした。選手を守るべき競技団体のトップとしてはあらざる行為だった。
(この冤罪を看過すれば、選手たちに正当な医療行為ができなくなるとして立ち上がったサンフレッチェ広島の寛田司ドクター(当時)は「協会のトップによるあの発言がマスコミに出たことで、Jリーグももう過ちを認めて引き返すことがなくなった」と回顧する)