持てる技をすべて出し尽くした両者
(前ページより続く)
先に仕掛けたのはハンセンだった。あっという間にもの凄い殴り合いになった。神
経戦が悪い方向に展開した。いったい何がどうなったのか、ベイダーが自らの手でマスクを脱ぎ捨ててしまった。マスクの下から現れたレオン・ホワイトの顔は右目が完全にふさがって見るも無残な姿になっていた。
あとでわかったことだが、試合開始直後のパンチ合戦でハンセンの放ったエルボーが、ベイダーのまぶたを直撃してしまったらしい。もちろん、これはあくまでアクシデントと解釈すべきだろう。プロレスは町のケンカではない。
思わぬ負傷でファイトに火がついたのはベイダーのほうだった。トップロープからのベイダー・アタック、アバランシュ・ホールド、ラリアットとたてつづけに大技をくり出して勝負をかけていった。戦場がリング内から場外、再び場外からリング内へとめまぐるしく移り変わる。場外戦が長びくたびにベイダーがハンセンを、ハンセンがベイダーをリング内に投げ入れる。あくまでリングのなかでの勝負にこだわる両者の姿勢は好感が持てた。これが東京ドームでなくアメリカのリングだったら、もっと早いタイムで両者リングアウトになっていたかもしれない。
リングのほぼ中央で、ハンセンが左腕のサポーターに手を当てた。元祖ラリアットへのプロローグだ。ベイダーがロープに振られた。ハンセンが助走つきラリアットの体勢に入る。しかし、これをよく見ていたベイダーはカウンターのドロップキックで切り返していく。
今度はベイダーがハンセンの首筋にラリアットをめり込ませた。ハンセンも黙ってはいない。予告なしのラリアットをお返しだ。持てる技をすべて出し尽くした両者は、もつれ合うようにして場外へ転落していった。この時点ですでに実質的なドローが決まった。両者リングアウトがどうしても避けられない試合もあるのだ。〔『デケード』下巻/初出『週刊プロレス』(1990年2月24日号)〕
先に仕掛けたのはハンセンだった。あっという間にもの凄い殴り合いになった。神
経戦が悪い方向に展開した。いったい何がどうなったのか、ベイダーが自らの手でマスクを脱ぎ捨ててしまった。マスクの下から現れたレオン・ホワイトの顔は右目が完全にふさがって見るも無残な姿になっていた。
あとでわかったことだが、試合開始直後のパンチ合戦でハンセンの放ったエルボーが、ベイダーのまぶたを直撃してしまったらしい。もちろん、これはあくまでアクシデントと解釈すべきだろう。プロレスは町のケンカではない。
思わぬ負傷でファイトに火がついたのはベイダーのほうだった。トップロープからのベイダー・アタック、アバランシュ・ホールド、ラリアットとたてつづけに大技をくり出して勝負をかけていった。戦場がリング内から場外、再び場外からリング内へとめまぐるしく移り変わる。場外戦が長びくたびにベイダーがハンセンを、ハンセンがベイダーをリング内に投げ入れる。あくまでリングのなかでの勝負にこだわる両者の姿勢は好感が持てた。これが東京ドームでなくアメリカのリングだったら、もっと早いタイムで両者リングアウトになっていたかもしれない。
リングのほぼ中央で、ハンセンが左腕のサポーターに手を当てた。元祖ラリアットへのプロローグだ。ベイダーがロープに振られた。ハンセンが助走つきラリアットの体勢に入る。しかし、これをよく見ていたベイダーはカウンターのドロップキックで切り返していく。
今度はベイダーがハンセンの首筋にラリアットをめり込ませた。ハンセンも黙ってはいない。予告なしのラリアットをお返しだ。持てる技をすべて出し尽くした両者は、もつれ合うようにして場外へ転落していった。この時点ですでに実質的なドローが決まった。両者リングアウトがどうしても避けられない試合もあるのだ。〔『デケード』下巻/初出『週刊プロレス』(1990年2月24日号)〕
アメリカのWCWでもチャンピオンに
1992(平成4)年6月のシリーズ興行を最後にベイダーは日本のリングからいったんフェードアウト――新日本プロレスからは公式発表はなかった――し、もともと新日本プロレスからのリース契約という形で限定スケジュールを消化していたWCWに活動の場を移し、翌7月にはスティングを破ってWCW世界ヘビー級王者を奪取。その後、同王座を通算3回獲得した。ベイダーは世界じゅうのどこの団体でもメインイベンターの証=チャンピオンベルトを手に入れた。