行けない日本への“妄想”がどんどん膨らんでいる

写真で見たところ、個人的には、代官山よりも上海のほうがずっとオシャレなんじゃないの? と思ったのだが、なかなか日本に行けないという不満を抱えている彼らは、日本への憧れの気持ちや「1年間見ていない」日本への期待がどんどん膨らんでいて、なかば“妄想”に近い状態になっている。そのため、他のオシャレ系書店よりも「日系の書店」のほうが(実際にどうかは別として)、もっと輝いているはずだ、というふうに“割り増し”でよく見えたのではないか、と私は感じてしまった。

同じく2020年7月にはロフト(LOFT)がオープンして、早速「日本好き」な中国人が買い物に出かけた。LOFTといえば、かわいい雑貨やインテリア、コスメなどが多いが、上海在住の私の女性の友人は「マスキングテープやかわいいキャラクターのペンをたくさん買ってきた」と満足げだった。

そのほか、コロナが発生する以前からだが、上海には「MUJI」(無印良品)や、日用品を販売する「ニトリ」などがある。中国人の資本も含めて、日本にもあるような個性的なカフェ、日本風のベーカリー、日本人もうなるような高級寿司店など、「日本」を連想させる店はとにかく多く、いずれも上海人の間では、それがあることは「日常」になっている。

日本文化の質を身近な場所にも求めるように

こうした状況はコロナが発生する数年前から起きており、この1年で急に「日本関係の店が増えた」というわけではない。だが、コロナの感染が拡大し、行き来ができなくなった2020年の1年間で、中国(とくに上海や北京など)の中の「日本」の存在感は“熟成”され、その前の年より強まっているのではないか、と私は感じている。

むろん、それは経済的な面ではなく、文化や生活の質という点での話だ。外部(海外)への渡航がほぼなくなり、内側(国内)にこもるなか、ここ数年、海外で見聞を広めた中国人の文化への関心が成熟していったことと、コロナ以前から進められていた案件(海外の建築家やデザイナーなどによるホテルや施設の建設)がいくつも完成し、そこに行って、よいものに触れることで、改めて知的好奇心をくすぐられ、「やはり、日本に行って、もっといろいろなものを見聞きしたい」という願望が強くなっているのではないかと思う。

それを痛感したのは、昨年8月、上海市内の数カ所で行われた「夏祭り」の様子を上海の友人から聞いたときだった。