失敗し続けたリゾート開発政策

国は地方創生を推進する前から、さまざまな政策を行うことによって、地域を発展させようとしてきた。1962年に策定された「国土の均衡ある発展」を目指した全国総合開発計画(全総)はその始まりである。その後、地方創生に至るまで、60年ほど地域の発展を目的とした数多くの政策が行われてきたが、今日のような地域の衰退を食い止めることはできなかった。

こうした政策の中でも、失敗例として挙げられるのがリゾート開発である。以下、大島(2016)長澤・宮林・五十嵐(2004)に基づいて、どのような結末を迎えたのか改めて見てみよう。

1987年5月に「総合保養地域整備法(リゾート法)」が成立し、翌88年6月に施行された。この法律に基づいて、全国各地でリゾート構想がまとめられた。国の承認を受けた計画に基づき整備されるリゾート施設は、国および自治体が開発の許可を弾力的に行い、税制上の支援、政府系金融機関の融資を行う等の優遇措置が受けられるというのが、開発予定企業や自治体にとってのメリットであった。

ほとんどの道府県で、当時の行政担当者は、開発構想の策定を競い、大手企業の参加を求めての計画の「熟度」を上げることに努力した。

図表1は紙幅の関係で拙著に収めることができなかった、リゾート法に基づく基本構想と特定地域をまとめたものである。

リゾート法に基づく基本構想および特定地域
出所=国土交通省ウェブサイト「地域振興 活力と魅力のある地域づくり

これらの構想の中でも拙著で取り上げたのが「宮崎・日南海岸リゾート構想」とその中核施設であった宮崎シーガイアである(図表中の②)。この構想はリゾート法適用第1号の一つであった。

数々のリゾート施設が巨額の赤字を抱えて経営破綻している

宮崎のシーガイアは、宮崎市山崎町に建設された官民一体の巨大プロジェクトで、巨大な室内プールと豪華なリゾートホテル、ゴルフ場を含み、宮崎県や宮崎市が出資する第三セクターのフェニックスリゾートが経営していた。

建設地では防風林として植樹されていた海岸部の松林を伐採し、1993年7月には世界最大級の室内プール「オーシャンドーム」やゴルフコースなど5施設の営業を開始し、続いてホテルや国際コンベンションセンター、アミューズメント施設なども建設し、1994年10月に全面開業した。2000年7月にはサミット外相会合の会場にもなっている。

総事業費は2000億円かかったが、利用客は増えず、毎年200億円前後の赤字が発生した。債務は膨らみ続け、2001年2月には、第三セクターとしては過去最大の負債総額3261億円で会社更生法の適用を申請している。

リゾート法適用第1号で関連第三セクターが破綻したのは「宮崎・日南海岸リゾート構想」だけではない。「会津フレッシュリゾート構想」(図表中の③)でも施設を運営していた第三セクターが破綻している。

同構想の対象地域は、郡山市(市内湖南町行政地区が対象)、会津若松市、猪苗代町、磐梯町、河東町、下郷町、田島町、北塩原村であり、知名度の高い磐梯山と磐梯高原、猪苗代湖を中心とした良好な景観の観光リゾート地を整備し、会津地方における地域経済の振興・活性化を図ることが目的とされた。

だが、結果的に同構想における最大規模の総合型リゾート施設「アルツ磐梯」を運営する第三セクター「磐梯リゾート開発」も、2002年10月に負債総額約950億円を抱えて経営破綻している。

リゾート法適用第1号の構想における中核的な第三セクターが相次いで経営破綻したことを踏まえれば、リゾート開発による地域振興も、スタート時点から問題があったと言わざるを得ない。