結婚、退職して香港へ

3年間、電通で遮二無二に働いた東明さんは、同僚の紹介で知り合ったアメリカ人弁護士と2004年に結婚。夫が香港に拠点を移すことになったのを機に、2005年に退職して同行した。

だが、専業主婦に収まるつもりは一切なく、自分にできることはないかと模索。幸い日本サッカー協会から、女子サッカーのプロモーション活動を手伝う「女子アンバサダー」や、小中学校に赴いて夢を持つことの大切さを語る「夢先生」の依頼を受けたり、オリンピック選手の団体である日本オリンピアンズ協会の代議員にも就任した。

さらに、アジアサッカー連盟(AFC)からは、公式試合の立会人であるマッチコミッショナーの仕事を依頼された。マッチコミッショナーになるには、サッカーへの理解や競技規則・試合運営への知識を持つことが必要だ。

「香港に住んでいたので英語も話せるだろうし、サッカーのルールや運営面の理解もあるだろうということで、AFCから声をかけていただきました。実際は、英語は中学生レベルしか話せませんでしたが、度胸だけはありましたから(苦笑)。AFC本部があるマレーシアで毎年研修を受け、パレスチナの試合にも行きました。壁を越えたらイスラエルという緊張関係を目の当たりにして、複雑な感情を覚えたと同時に、サッカーの大会を開催する意味の大きさを再認識しましたね」

私の武器は「修士号とオリンピアンであること」

続いて見いだしたのが、大学院再入学の道だ。東明さんは、拠点を香港に置いたまま、2009年に順天堂大学大学院スポーツ健康学科研究科に入学。組織・女性・リーダーシップをテーマに研究を始めた。

「将来、何をすればいいのか分からず、悩んでいた時に、『自分にできることが何かよく考えたら?』と友人に言われたんです。その時点での私の武器は修士号とオリンピアンという実績。そこに博士号が加われば、企業研修や講演活動などのビジネスも広げていけるだろうし、アスリートをサポートする側にも回れる。自分は元サッカー選手として長年、人にサポートされてきたので、恩返ししたいと思い、順大進学を決めました」

数カ月に1度のペースで日本に帰国し、担当教授と会って課題を出してもらう。それを香港に持ち帰って調べ、執筆するという生活は充実していた。

6年がかりで博士号を取得し、翌2015年に帰国。順大の指導教官から「枠があるからどうか」と勧められた関東学園大学教員の採用に応募して合格した。そして2017年4月から、大学教員として新たな人生を踏み出した。