「完全かつ最終的な解決」を見たはずだったが…
2004年8月26日に行われた「民官共同委員会」では、植民地の不法性が究明されていない問題点を4つ挙げた。「慰安婦」「韓国人原爆被害者」「サハリン残留韓国人」「徴用工」の4つである。最初の3つは65年協定では議論の対象にならなかった。
65年諸協定は、1945年以前に起きた諸問題を法的には終わらせるものであったが、実態的に全く検討されなかったこの3つの問題について日本側は、長い年月をかけて、人道的・道義的観点より、被害を受けた方の救済のために真剣に努力してきた。
他方、徴用工問題については、65年諸協定の一つとして締結された「請求権・経済協力協定」に基づき明示的に解決され、しかるが故に「完全かつ最終的な解決」を見た旨、合意されたことは、前述のとおりである。
韓国は強大化したからこそ、「過去の清算」に乗り出した
韓国人の内部に息づく「恨」の深さは、今の多くの日本人の理解を超えているのかもしれない。確かに「真相究明法」の論理は、韓国側の「恨」の次元を大きく変えた。「真相究明法」が狙いを定めたのは、韓国併合から朝鮮戦争に至る時間の中に埋め込まれた歴史としての「恨」ではない。
今の韓国人の「恨」は、韓国が強大化した今こそ、1945年の日本敗北から現在までの間に韓国が弱者であったが故に妥協と欺瞞の中に放置されてきた過去を清算し、失われていた正義を実現することである。
まったき「過去清算」のために発見した武器こそ、韓国国内法と国際法の中に構築する「法理」または「法弾」なのだと思う。
日本側が「冬のソナタ」に象徴される戦後韓国に対する尊敬と好意を持ったその同じ年に、「真相究明法」が成立したのは決して偶然とは思えない。韓国の力が頂点に達した時、韓国の一部法律家は、かつて日本と戦った「義兵」が使った「銃弾」を「法弾」に変えて立ち上がったように筆者には見える。