※本稿は、早野龍五『「科学的」は武器になる 世界を生き抜くための思考法』(新潮社)の一部を再編集したものです。
それは科学者の領域をはるかに超えること
2011年当時、「何を発信するか」と同じくらい大切にしていたのが、「自分が科学者として言えることはどこまでか」「どこから先は科学者がやれることの範囲を超えているのか」という一線でした。
具体的な事例をあげましょう。震災直後、ツイッターで急に増えたフォロワーから、「あなたは今、本当に東京にいますか?」という質問がいくつも寄せられた時期がありました。僕の東大教授というプロフィールを見て、“この人が東京にいる間は、私もまだ東京から避難しなくていいだろう”という判断の助けにしたかったのだろうと思うのですが、僕はそれに対して「イエス」とも「ノー」とも答えませんでした。僕は返事こそしないけれど、東京にいることが分かるようなツイートをしていましたが、当時、ツイッター上のメンションに対しては、個別に返事をするということを一切しなかったのです。
震災直後は、「アメリカ政府は福島第一原発の80キロ圏内にいる自国民へ避難を促した。80キロというと福島市も範囲に入るけれど、原発からどのくらいの距離にいれば、避難しなくてよいのか? 原発から300キロ離れた東京は本当に安全なのか?」という不安がツイッター上にかなりありました。でも僕にできることは、データを見つけてグラフや地図の形で整理し、「いまはこういう状況にある」ということを論評なしにひたすら流すことだけです。それ以外の内容には、一切対応しなかった。それは科学者の領域をはるかに超えることだからです。
政治に関しては、一線を引くと決めていた
政治に関しても同じで、僕は最初から一線を引くと決めていました。原発の専門家ならば、専門家集団の一員として政府に科学的な立場から助言をするという仕事もあるでしょう。しかし、僕は原子力については、他の多くの物理学者と同じように、普通の人よりは知っていることもあるけれど、専門家ほど深くは知らないというレベルの科学者に過ぎません。
そうであるならば、専門家のごとく政治に関わるということは控えなければならない。仮に政治システムのなかに組み込まれれば、自由にツイッターを更新することもできなくなります。僕の発信を受け取る人たちからすれば、「政府の中に入った人」というバイアスもかかるでしょう。
僕は比較的若い頃から、文化も環境も違うところにあちこちいたので、「この国ではここまではOKだけど、日本ではNGだ」というふうに、環境や時代によって規範が変化するということを身をもって体験してきました。一定の社会的な立場も背負ってきたので、公に向かって発言する際にはどこかで自制が働いています。
それはツイッター上だけでなく、僕と世の中との付き合い方、人との付き合い方全般にも言えることです。「いまの世の中の規範ではどこに境界線があるのか」を考えながら、感覚を研ぎ澄ましておかないと、SNSでも、社会生活においても、ハイリスクになってしまいます。