私たちの「生」はすでにオンライン化している
私は決して遠い未来の話をしているわけではない。「平成27年版情報通信白書」には「2030年の未来像―ICTが創る未来のまち・ひと・しごと」という章があるが、そこで描かれている近未来の相当部分は実用段階に到達していて、図らずも新型コロナウイルス感染症によって社会のIoT化やICT化は後押しされている。
それに本当は、私たちがスマートフォンを肌身離さず持ち歩くようになって以来、私たちの生はもうオンライン化され、モニタリングやマネジメントの対象になってきたのだ。巨大情報企業は、公共交通機関の利用履歴やオンライン決済の履歴、SNSの閲覧履歴などをとおして私たちをモニタリングしている。私たちをモニタリングしているということは、私たちのことを知っているということでもある。私たち自身よりも知っていることさえあるだろう。
そういう「私たち自身よりも知っていること」の一覧に、これから健康という項目が新たに加わるだけのことである。
・あなたが出かけたい場所
・あなたが欲しいもの
・あなたにふさわしい職業
・あなたにふさわしいパートナー
・あなたが関心を持つ分野
・あなたの悩みごと
・あなたの健康上の課題
「独居の高齢者が心筋梗塞」→「自動で救急車が出動」の未来
ICT機器に囲まれ、私たち自身がすっかりオンライン化された近未来の生活において、独り暮らし、ひいては孤独死はどう変わるだろうか。
たとえば独り暮らしの高齢者が心筋梗塞や脳出血になったとしても、ICT端末さえ設定しておけば自動的に救急隊を呼べるようになる。ガスや電力の消費量、オンライン/オフラインの活動履歴から異変を察知し、警備会社に注意を促すことも技術的にはさほど困難ではない。現に、ICT化で先を行く韓国では、これに類するサービスが実用化の段階を迎えている。日本でも、社会のICT化が進み、サービス需要が高まれば安価でありきたりの手段になるだろう。
また、セルフネグレクトや自殺といった医療的・福祉的介入が必要な人々についても、こうしたテクノロジーによって早期発見と早期対応が容易になるだろう。
困難があるとするなら、そうしたテクノロジーやサービスを行政という制度に結びつける難しさ、そして倫理上の難しさだろうか。だがコロナ禍が教えてくれているように、健康や生命がかかっている事案に関しては、制度や倫理のハードルはしばしば緩む。経済的損失が絡むなら尚更だろう。独居者のモニタリングとマネジメントが十分可能で費用対効果にも優れたメソッドが確立した時、独り暮らしの支援として、いや、むしろ独り暮らしの条件として、「最大限にプライバシーに配慮したかたちで」それらが導入される未来を想像するのはたやすい。
たとえば団塊ジュニア世代が高齢になった頃、こうしたテクノロジーに依存せずに孤独死対策を進めていくことは予算からいってもマンパワーからいっても可能とは思えない。だが順当にテクノロジーが進展すれば今よりずっと悲劇や損失や脅威を軽減できるはずである。