中国政府による内モンゴル自治区への弾圧は深刻だ。静岡大学人文社会科学部の楊海英教授は「内モンゴル自治区では、中国政府によってこれまでに約3万人が虐殺された。入植してきた中国人には特権が与えられ、モンゴル人は差別に苦しんでいる。草原も砂漠化が進み環境問題は深刻。この問題が解決される見通しは立っていない」という——。

※本稿は、楊海英『内モンゴル紛争 危機の民族地政学』(ちくま新書)の一部を再編集したものです。

中国・内モンゴル自治区での中国語教育を義務付ける政策に抗議する人々=2020年9月15日、モンゴルの首都ウランバートル
写真=EPA/時事通信フォト
中国・内モンゴル自治区での中国語教育を義務付ける政策に抗議する人々=2020年9月15日、モンゴルの首都ウランバートル

約3万人が虐殺された内モンゴル自治区

あえて強調するが、中国は文化大革命を利用して、モンゴル人に二つの「原罪」がある、と批判した。「第一の罪」は「対日協力」で、満洲国時代に「日本帝国主義者と協力して中国人民を殺害した」ことである。

「第二の罪」は、日本が撤退した後に、モンゴル人は中国を選ばずに、同胞の国、モンゴル人民共和国との統一合併を求めたことである。この二つの「罪」が「民族分裂の歴史」だと断じられて、34万人が逮捕され、12万人が暴力を受けて負傷し、2万7009人が殺害された。

この凄惨な結果をモンゴル人は民族の集合的記憶として、ジェノサイドである、と理解している。

モンゴル人民共和国も、内モンゴル自治区の同胞たちが中国政府によって虐殺されている事実を掴んでいた。北京に駐在していたモンゴル人民共和国の外交官は、モスクワから北京に向かう国際列車に乗って内モンゴル自治区を通過した際に、血の匂いがした、という。モンゴル人から笑顔が完全に消えていた時代である。

こうした民族の集合的記憶は、内モンゴルが近代日本の大陸進出時の殖民地だったことと、近代の民族自決に目覚めたモンゴル人が中国から離脱しようとしたことと関係がある。

モンゴル人が中央ユーラシアの最東端に住み、古い中国と近代日本と出会った結果、生じた民族地政学上からの悲劇でもある。