「私が成功するだけでは十分ではない。他のみなが失敗しなければならない」。これは、チンギス・ハーンの言葉とされており、現代の大物ビジネスマンもときおり引用しています。今日のきわめて競争の激しいビジネス界で、こういうものの考え方について、どのように思われますか。デービッド・ホー(オクラホマ州)
もちろんばかげた考えだと思います。ビジネスは通常そのようなものではありませんし、そうあるべきものでもありませんから。
当然ながら、あなたは競争相手の成功を願いながら漫然と過ごしたりはしないでしょう。現実をきちんと見据えるビジネスマンは、誰もみな勝ちたいと思っています。最大の売り上げ、最大のマーケットシェア、最高の利幅等々を望んでいます。
しかし、現実を見据えるビジネスマンは、競争相手が、しゃくにさわりはするけれど役に立つ存在であることも理解しています。競争相手はあなたの会社の緊張感を高めてくれます。あなたの会社を攻撃的でハングリーな状態でいさせてくれます。また、競争相手の中でも最も優れた企業は、イノベーションから配送にいたるまで、パフォーマンスのあらゆる面で達成レベルを押し上げてくれます。
競争がなければ、企業はたいてい贅肉がついて怠け者になってしまいます。実例を挙げると、世の中の失敗した官僚主義的独占企業はみなそうです。追い求めていた成功を達成すると同時に生まれた自己満足と傲慢さが、失敗の最大の原因になるのです。
ですから、競争相手に勝ってほしいとまでは思わないにしても、ビジネスマンはチンギス・ハーンとは違って、競争相手がいてほしいと思うものです。それは顧客にとってよいことですし、あなたにとっても(ときには苦しいことでもあるけれど)よいことであり、ビジネス界全体にとってもよいことなのです。
では、この言葉を個人のレベルにあてはめるとどうでしょう。その場合もやはり間違っています。最も野心的な人の場合でもです。もちろん私たちは、人間には他人の不幸を喜ぶ感情があることを否定するつもりはありません。同僚が失敗したら、ちょっとほっとする(ときには嬉しくなる)のが人間というものです。
でも、きわめて成功している人たちは、その本能と全身全霊で闘います。古いことわざにもあるように、他人のろうそくが消えても自分のろうそくが明るくなるわけではない、ということを知っているからです。他人のろうそくが消えれば、部屋全体が暗くなるだけなのです。
職場で、そしてまた人生で、起こりうる最高のことは、頭の切れる優秀な人々に取り巻かれていることです。手ごわい競争相手の場合と同様、あなたは彼らから学び、彼らのおかげで向上します。彼らが成功するときは、あなたも彼らの手本にならって、もしくは彼らのチームの一員として成功するのです。
チンギス・ハーンの言葉は、モンゴルの平原で槍や棍棒を持って他の将軍と戦っていた750年以上も前のことを言ったものでしょう。でも、今日の世界では、彼のアドバイスは、大物ビジネスマンに対しても、そうでないビジネスマンに対しても、時代遅れのように思います。